

今や韓国はおろか、日本を含めたアジア全体で一番注目を集めているアジアのスターといえばピ(Rain)を上げる方が多いでしょう。
日本でもすでにたくさんのファンがいるRain。(ここからは‘Rain’と書かせていただきます)もう説明も要らないほどかと思います。
彼のプロデューサーであるパク・チニョンは「Rainをアジアだけのスターにしておくつもりはない」と断言しています。
それだけ多くの可能性とスター性を持ったRain。
通常韓国での歌手の活動はアルバムを出し、そのアルバムの中から2~3曲で半年程活動した後はまた半年~1年程の間休みながら次のアルバムの作業を行うスタイルですが、Rainの場合はアルバムの活動が終わってもドラマそしてアジア中で行われるイベント、コンサートなどでこの1年はほとんど休むことなく走り続けています。
Rainがここまで走り続ける理由はなんでしょうか・・。
Rainがここまで成長してきた理由の中には間違いなく、彼のお母さんの存在があると思います。病気で亡くなった母への愛、そして家族の存在。
やはりそれが彼の原動力となっているのではないでしょうか・・・。
「努力の人、Rain」
Rainが『Rain』としてデビューする前に『fanclub』というグループで活動していたのはファンの方はすでにご存知のことかとは思います。
アルバムのジャケットにはまだあどけない表情で、控えめにメンバー達の後ろに立つRainの顔が見られます。
その後、安養芸術高校に進学、そのダンスの実力に目をつけたパク・チニョンの下でレッスンを積み重ねてきました。
安養芸術高校はSE7ENも通っていた高校で、RainはSE7ENの先輩ということになります。(これまた有名な話ですね)
デビュー前にもJYP所属の歌手のバックダンサーやパク・チニョンが歌手を発掘するTVプログラムなどでダンスを担当したりするなど、早い段階からパク・チニョンがRainの実力をかっていたのは間違いないようです。
そんなRainの1集『悪い男』が発売されたのはワールドカップ直前で韓国が盛り上がっていた2002年5月でした。
当時、韓国ではワールドカップ開催と韓国サッカーを応援する為、歌手達が集まるイベントがあちこちでたくさん開かれていました。その中でRainはイベントのオープニングステージを飾ることも多く、少しずつRainという名前とその存在を人々に知らせていきました。
ですが、Rainという名前を韓国全土に知らしめたのは2003年に出演したドラマ『サンドゥ学校へ行こう』でしょう。
初めての演技とは思えないくらいの自然体で、Rainの魅力を充分に発揮したドラマは回が進む毎にどんどん人気を集めていきました。
その人気が上がるのと同じ時期に2集『太陽を避ける方法』を発表。ドラマではかわいい姿を見せてきたRainですが、それとは全く違う雰囲気の歌手Rainに当時韓国中の女性が夢中になりました。
また『太陽を避ける方法』でRainが使用していたサングラスが流行ったりも・・・。
その後ドラマ『フルハウス』出演、3集『It’s Raining』、ドラマ『このろくでなしの愛』そしてアジア中で行われるコンサートツアー。さらにはアメリカ進出まで。
Rainの人気は現在まで下がるどころか、今やアジアから世界へと飛び立とうとしています。
完璧主義者でもあるRain。
やるからには成果を出さなければならないし、その為の努力は惜しまないといいます。
彼が今現在の地位を築いてきたのにはやはりそれなりの理由があるわけです。
アジアから世界へと活躍の場を広げるRain。今後も目が離せません。
なっ・・いいこと書いたはるやろっ!
いかにジフニがいい子かすごくわかる☆
ジフニ、ファイティン★
写真、パロディまた見つけたよ!