一生使うことがないのに
因数分解なんて何のために勉強するのか
芳村思風一語一会 vol.5853
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因数分解なんて勉強しても、意味がない ?
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「数学なんて、一生使うことがないのに
どうして勉強しなければいけないのか」
「因数分解なんて勉強しても、意味がない」
と言われたら、どう答えるか
人生では、複雑な問題がたくさんあります。
数学は直接関係ないけど、難しい問題が出てきたとき、
逃げないで乗り越えていく能力を作ります。
なんとか解いてみようといろいろな角度からものを考える訓練をする。
苦労して「できた!」という喜びを味わうことで、意欲も湧いてくるのです。
もうひとつ大切なこと。
子どもに勉強を教えてはいけない。
親の意見を強制しない。
子どもに勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。
他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。
子どもに教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦手だったの。
どうやって解いたらいいか教えて。」
少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、
「よくわかったわ。ありがとう。
明日もどんなこと習ったか教えてね。」
一緒に勉強する。
一緒に絵を描く。
共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。
子だもだけにやらせようとしないことが大切なのです。
「愛の子育て」(改訂版)より
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・
※芳村思風の講演会・勉強会の案内
・8月13日(水)名古屋思風塾
18:00~20:00 西区 伝承館
参加費:2,000円
問合せ
思風庵哲学研究所
※「感性論哲学 芳村思風」で検索
芳村思風一語一会 vol.5852
感謝は、自分一人でできる
謝罪には、必ず相手がいる。
目の前にいない相手に謝っても伝わらない。
相手に自分の思いが伝わらないと、
謝罪したことにはならないからです。
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感謝と謝罪
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不完全な人間が「不完全性の自覚」に基づいて、
本物の人間として行わなければならない
行為が「感謝と謝罪」です。
不完全性の自覚から
直接的に出てくるものは、謙虚な心です。
その謙虚な心が、具体的に行動として表現されたものが
「感謝と謝罪」の実践です。
人間の本質は、心です。
人間らしい心とは、謙虚な心です。
人間において傲慢さほど醜くて恐ろしいものはありません。
人間は傲慢になったとき、
人間であることを根底から失格するのです。
傲慢な顔つき、傲慢な目つきや態度、傲慢な物言いほど
醜く嫌なものはありません。
努力して地位を獲得した人間が失脚するのは、
すべて傲慢不遜な振る舞いゆえです。
その意味で謙虚さほど人間にとって大切なものはありません。
常に傲慢であってはならないという自覚を忘れてはなりません。
それほど大切な謙虚さも不完全性の自覚が、
ほんとうに身について体得されていないと、
謙虚さが弱さになり、
媚びへつらいとなってしまうことがあります。
これでは謙虚さもニセモノです。
ほんとうの意味での不完全性の自覚が身につけば、
本物の謙虚さとして出てくるものが
「感謝と謝罪」の精神です。
感謝は不完全なるがゆえに人に助けてもらい、
人のお世話になったときに、
命から湧き上がる気持ちです。
また感謝という行為には、
作為的なものが根底にあることがあります。
「良い人と思われたい」
「好かれたい」という気持ちがあり、
感謝には人間の完璧さを意識したところがあります。
心の底から人間は不完全であると自覚したとき
、謝る・許しを請う・許すという行為となるのです。
謝る・許すという行為は、人間の深さに関係します。
不完全性の自覚は、感謝よりももっと深いところにあるのです。
「ごめんなさい。私が悪かった、許してね」という言葉は、
人間の深さがないと心からの言葉とはなりません。
感謝よりも、人間としてのもっと深い行為は謝罪なのです。
感謝は主体が自分ですが、
謝罪や許しは、相手が必要であり、
自分を捨てなければできない行為です。
「ありがとう」は言えても
「ごめんなさい」
「申し訳ありません」
「許してください」
という謝罪の言葉は、単なる謙虚さではなく
ほんとうに大変なことをしてしまった
という自覚と深い反省がなければ出てこない言葉です。
同じ不完全性の自覚から湧いてくるものでも
感謝の心は、まだ浅く、
謝罪の心こそ人間における最も深い謙虚な心である
ということができるのです。
本物の人間になるためには、
意識的に謙虚にしようとするのではなく、
不完全性の自覚からにじみ出てくる謙虚さが必要なのです。
「風の思い」
~芳村思風 46の言葉~より
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・8月13日(水)名古屋思風塾
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芳村思風一語一会 vol.5851
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感性論哲学の年代別教育論
「愛の子育て」
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教育の目的は、
人間らしい心を持った人間をつくること
人材・人財ではなく、
人物をめざす。
人材とは、能力において優れた人間。
人財と書いても同じで、
宝ではあるが、
「ヒト・モノ・カネ」
の経営資源として
資本主義経済下ではとらえられている。
人物とは、能力と人間性においてすぐれた人間。
人間らしい心を持った人間とは、
次の3つの条件を満たす人間である。
1.不完全性の自覚からにじみでる謙虚さを持っている
2.より以上をめざして生きるという人間としての成長意欲を持っている
3.人の役に立つことを喜びとする感性を持っている
教育の方法は、感性を人間化させるために手段能力として理性を使うことである。
教育の理念は、育てるために教えるということである。
教が育を超えてはならない。
人間らしい心をつくる最も本質的なものは、
価値を感じる感性である。
今やっていることの意味や価値や素晴らしさを感じる。
教育は、国家盛衰の要であり、
企業昇沈の因、
一家存亡の鍵を握る大事業である。
「愛の子育て」改訂版より
0才~20才年齢別教育論
※「愛の子育て」(1~3)を
再編集して、1冊にまとめました
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18:00~20:00 西区 伝承館
参加費:2,000円
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