芳村思風一語一会 vol.4559
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偏見は間違いではない
偏りがあるだけ

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あなたの考え方は偏見です。

自分の考え方が偏見であると自覚している人は少ない。
自分は、理性的に合理的に正しい判断をしていると思っている。
自分には、偏見はないと信じている。

実は、その人はすべてを合理的なものへと
ゆがめてしまう片寄った物の見方をしている。
小さいころから「偏見をなくしましょう」と教えられてき。
理性的に判断することが、偏見をなくすと思われている。

しかし、理性的な判断や物の見方が
偏見であることを教えてくれる現象が、
自然破壊や環境破壊、人間性の破壊。

理性が人間の本質であると考え、
理性を正しい信頼できる唯一の能力と信じ、
理性を原理に生きてきた結果、
自然や環境や人間性が破壊されたのです。
このことによって、ようやく人間は、
自然も環境も人間も単なる理性的存在ではない
ということを知ったのです。

人間は、理性と感性と肉体が
有機的に統合されて相乗効果として
生まれ出てくる存在です。
人間を理性的に理解し、理性的合理的に対応すると、
人間という命の有機性が破壊され、人間性がゆがみ、
命は健全なる活力や生命力を失う。

これが人間性の破壊や血の通ったあたたかな心の喪失の原因。
自然も環境も様々な要素が結合しあった有機性という相乗効果によって成り立っているもの。
理性的、合理的判断や計算ではわからない未知のものがある。

だから理性的に分析し、理性的に対応すると破壊が起こるのです。
理性的に考えた結果は、理性的な偏見だということを知る必要がある。

学問も理性的な偏見です。
だから科学や科学技術の発展が自然破壊を起こし、
経済学の発展が実体経済を破壊しているのです。

科学は一部の領域しか見ていません。
実態は全分野、全領域が絡み合った有機性だから、
科学では本当のことは解明できない。
だから学問も偏見なのです。

人間は肉体がある限り、自分の肉体がある場所からしか物を見ることができません。
どんな立派な人間でも、人間である限りその考えは偏見なのです。片寄った見方なのです。
だから偏見をなくそうという努力はしてはならないし、なくなりません。

それは人間に完全性を求める間違った要求です。

偏見をなくさなければいけないと思っている人ほど、
自分には偏見がないと思い、他人を責めているのです。

人間が偏見を超えるためには、偏見をなくそうとせず、
自分には偏見があるという事実を自覚し認めることから始めなければならない。

自分の不完全性を自覚し、人間として正しい生き方をするためには、
自分と違う意見や考え方に関心を示し、好奇心や認識欲・向上心を持って、
異論から学びつつ、謙虚に自分の考え方の偏見を修正し、
真実に近づこうとする意欲を持って生きる必要があるのです。

「風の思い」より

※感性論哲学は、偏見です。
感性を本質と考えた偏見です。

しかし、これから500年1000年
時代の中心となる考え方なのです。
理性偏重の時代が終わり、
感性の時代に必要な考え方なのです。