☆☆☆☆☆
感性とは何か、感性を磨くとはなにか
☆☆☆☆☆         
 人間は、生まれた瞬間から感じながら生きています。
いいえ、生まれる前のお母さんの体内にいるときから感じています。

 寝ているときでも呼吸をしているし内臓も動いています。
 感性は寝ているときも働いています。

死とは心臓や呼吸が止まったときではなく、
 人間の肉体から感性の働きがなくなったとき、初めて死んだといえるのです。
なぜなら感性が60兆個の細胞をひとつの命として統合しているからです。

では「感性」とは何でしょうか。 


 私という意識の根拠となっているのは「感性」です。
 感性とは、人間の本質であり、生命の本質、宇宙の究極的存在です。
 本質としての感性は、すべての生命が持っています。
この感性が、理性によって人間化されたものを「知的感性」といいます。

この知的感性が「心」なのです。
 心は、理性によって感性が人間化されたものです。
 心とは、意味や価値を感じる感性です。


 幸せや感謝や尊敬・責任感などは全部感じるもので、
 理性によって感性が人間化されることによって出てくるものです。

 感性の本質(最も根本にある能力)は、
 「求感性(ぐかんせい)」です。

 

 感受性ではありません。


 感受性は、消極的・受動的能力であり、感性の本質ではありません。

 求感性とは、自分が生きていくために必要な情報を
積極的に求めて感じ取ろうとする働きで、
 調和・合理・統合を模索する働きです。


この感性の働きの結果として、現象としての感性がでてきます。
 感性の現象とは、本能・感覚・欲求・感情・感受性などです。
 感受性は、感性の現象形態のひとつなのです。

 

では感性を磨くには、どうすればいいのでしょうか。


 「したいことがわからない」のは、
 自分の心が何を求めているかわからないということです。
 朝日や夕陽を見て感動する。

 本や絵・映画を見て涙を流す。
 他人の何気ない言葉に「ハッと」する。
 人は、自分の心が求めているものとであったときに感動します。
 感動は、受け身なので、感動する力を高めることが、感性を磨くことではありません。
 人間は見ようとしたものしか心に残らず、関心を持ったものしか心に残りません。

 求めなければ入ってきません。


 感性を高めるということは、求感性を高めることなのです。
 自分の心が何を求めているのか、理性を使って考えることです。
 理性を使って意味や価値や素晴らしさを考えることで、感性を成長させるのです。
 感性を磨くには、理性的努力が必要なのです。


 理性で意味や価値を考え続け、
それを感性で感じ「夢や理想」として
心の底から湧きあがってきたとき「やる気」になり、
 行動へと結びつくのです。理性で考えているだけでは行動に結びつきません。
 意味や価値を感じたとき行動へと結びつき、現実を理想へと導いてくれます。
 求感性が、夢や理想を引き寄せるのです。


 感性と理性はバランスではなく、有機的な協力関係をつくることがたいせつなのです。 

 

 「風の思い」
 ~芳村思風 46の言葉~より