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三人寄れば文殊の知恵とは
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人間は不完全だから自分ひとりの考えでは人生の問題をすべて乗り越えることは不可能です。
問題を乗り越えたとしても、もっと良い方法があったかもしれないと悩むかもしれません。
どんな立派な人でも、人間は自分の肉体のある場所でしか考えられないし、判断できません。
私たちは、常に自分の考えや判断には偏見があるという自覚を持っている必要があります。
これまでは偏見を持ってはならないと言われ、
偏見をなくすための努力を要求してきましたが、偏見は原理的になくならないのです。
偏見をなくす努力をした人は、自分の考えには偏見はないと思ってしまいます。
自分と異なる考えは、偏見だと考えて、自分の偏見のない考えで、相手の偏見のある考えを修正し、正しい考えに、あらためさせようとして、傲慢にも説得しようとする。
こうして真理はひとつと考え、画一性を追求する理性の働きが、人間から血の通った温かな心づかいや思いやりを奪い、人間性を破壊し、悲しい対立を社会に作りだしてしまうことになるのです。
私たちは、人間の本質である謙虚な心を見失うことなく、人間性と社会性を持って生きていくためにも、偏見をなくそうとするのではなく、偏見は決してなくならないという認識を持つこと。
自分には常に偏見があるという自覚を大切にしなければならないのです。
自分には偏見があると思うことによって、私たちは人の言うことに耳を傾けて、人から学びながら自分を成長させようという気持ちになれるのです。
私たちの肉体そのものは、宇宙の摂理によって人間に与えられたものです。
肉体を持っているが故に必然的に出てくる偏見を悪と考え、なくそうとすることは、宇宙の摂理を悪とし否定することです。
宇宙の摂理に反する、宇宙に対する反逆であり、謀反です。
宇宙の摂理によって人間に与えられた肉体があるが故に出てくる偏見は、それを肯定して生かして使う。
人間の本質である血の通った温かな謙虚な心をつくることが、宇宙の摂理にかなった、人間としての正しい生き方であるということができます。
人間が現実を正しくとらえて問題に対処するためには、自分の考えと、相手の考えと、第三者の考えを統合して判断する必要があります。
それは現実の空間が、三次元という構造を持つものであると同時に、意識の構造も1人称、2人称、3人称という立場を持っているからです。
生きた現実を把握するためには、この3つの立場からの見解を統合する必要があるのです。
これが「3人寄れば文殊の知恵」と言われている根拠なのです。
私たちは、決して自分ひとりで問題を乗り越えなければならないと考える必要はありません。
あと2人の人間の力を借りて、たすけてもらって良いのです。ひとりで悩んで絶望におちいることはありません。
あと2人の自分とは違う考えを聞き、それを取り入れることで、不完全な人間における正しい答に到達できるのです。
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・
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思風庵哲学研究所
