3人寄れば

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偏見は、誰にでもある
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偏見はなくさなくてもいい。
偏見は、だれにでもある。
肉体がある限り、偏見はなくならない
偏見は、間違った考え方ではない。
ある一定の方向から見た正しい考え方。
どんな考え方もすべて偏見です。
だから偏見をなくすのではなく、偏見であることを自覚することが大切なのです。

自分にも偏見があることを自覚している人は少ない。
理性的に合理的に判断して、正しい判断をしていると思っている人は、自分に偏見がないと思っている。
実はその人はすべてを合理的なものへと歪めてしまう偏ったものの見方をしているのです。

人間には、肉体があるので、

肉体のある方向からしか見ることができません。
本当の実体や全体はわかりません。
科学も一部分の領域しか見ていません。

実体は、全分野、全領域がからみあっています。
だから学問も偏見なのです。

人間が偏見を超えるためには、

偏見を無くそうとはせずに、自分には偏見があるという現実と事実を自覚し、
認めることから出発しなければいけません。

「3人寄れば文殊の知恵」というのは、
主観的な物の見方(1人称)・客観的な物の見方(2人称)
そして第3者的な物の見方(3人称)の3つの考え方をあわせて考えることで、

より良い考え方になるということなのです。

自分の考え方と違う2つの考え方のいいところを統合して、

より良い考え方に成長させるということなのです。

自分の考え方は、偏見であると自覚することが大切であり、
偏見をなくそうとする必要はないのです。

感性論哲学も「感性」をベースにものごとを考えた偏見です。
理性の時代から、新しい時代に必要な原理原則として、
今後100年200年と必要となる考え方です。
その後は、またこの考え方を越える体系が、

次の時代に必要な考え方が、必ずでてきます。

それまでの間、人類の人間性の進化のために必要な考え方が、

感性論哲学なのです。



「風のことば」より

やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・


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思風庵哲学研究所