今月は、衆議院選挙があります。
2大政党政治から、最近では、「脱政党政治」を主張する政治家もようやく出てきました。
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脱近代の理念と新しい価値観
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政党政治から脱政党政治へ、そして統合政治(合議政治)へ
資本主義経済から脱資本主義経済へ、そして人格主義経済へ
民主主義社会から脱民主主義社会へ、そして互敬主義社会へ
理性文化から脱理性文化へ、そして感性文化へ
物質文明から脱物質文明へ、そして精神文明へ
脱民主主義社会、脱政党政治、脱資本主義
時代は、理性の時代であった近代から、次の新しい時代である感性の時代へと移行していくプロセスにある。
時代はすべての領域において原理的変革を求めている。
人々は今「理屈じゃない!心が欲しい」叫び、人間観も
「本質は理性だという人間観から、人間の本質は心であり感性だ」
という人間観に激変している。
政治も脱政党政治が求められている。
今政治を混乱させている元凶は、政党の存在そのものである。
政党が政治を行なう根本原理になっているがゆえに、
国会は国民の切実な声をないがしろにし、
国民を無視して政権争いに走り、党利党略におちいるのである。
だから国民の過半数は今や無党派であり、政党政治からの脱却を求めている。
多数決の論理からの脱却と、説得の論理から納得の論理への転換していかなければいけません。
経済も脱資本主義が模索されつつあり、
金を目的とする経済から、人間のための経済への変身が求められている。
社会のあり方においても、民主主義社会よりも、
もっと素晴しい社会とは何かについて考えることが、
脱近代という歴史の流れから要請されているのである。
しかしまだ多くの人々が、この歴史の要請に気づかず、
民主主義社会こそ、社会のあり方の究極の理想だと思っている。
なぜ、我々は民主主義社会からの脱却を考えなければならないのか。
その理由は3つある。
第1は、民主主義社会は、中世の封建社会から脱却するために、
基本的に人民の権利を最大限に主張することから始まったため、
義務に関する意識が非常に薄い。
多くの人々が義務を果たさなくても基本的人権はあると思っている。
納税は国民の義務であるが、国民は節税に努力し、脱税にまで走ってしまう。
民主主義社会は、権利を主張する自己中心的な人間だけが得をし、
権利を主張しない謙虚な人は損をするという構造にできているのである。
第2の問題点は、民主主義社会は、お互いに権利を主張し合って責め合い、
対立を呼び起こす社会であるという点である。
あまりにも権利意識が強すぎて、人間関係が悪化し、理性的に冷たい社会になっている。
義務は本来、自分が相手のためにしなければならない行為のはずが、
現実的には人々は権利を主張すると同時に、自分に対する義務を相手が果たしていないと言って、義務すら人を責める道具使ってしまっている。
不完全な人間が安心して生きていくことができる社会を目ざさなければならない。
それは理性で責め合うのではなく、愛を原理に許しあって生きる社会である。
第3の問題点は、行き過ぎた自由が権利意識に基づく対立を助長し、社会の秩序を崩壊し、行き過ぎた平等意識が、行き過ぎた福祉社会をつくり、福祉をあてにして生きる弱い人間を激増させ、社会の活力や労働意識を衰弱させている点である。
これは明らかに自由と平等を理念とする近代民主主義社会の終焉を意味する現象である。
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