人倫の崩壊、愛の崩壊が、なぜ出てきたか
1.愛が理性化されてしまった
理性が人間の本質とし、理性的な人間を目標としてきたため、
人間性が破壊され、血の通った暖かな心が消えてしまった。
理性で考えたことが実行できない人間はダメな人間とされた。
愛も理性化され、理性的にしか愛せなくなってしまった。
理性的にしか愛せないとは、価値観、考え方が違う人間は愛せないということ。
真理はひとつだから、どちらかが正しい、間違いとなり、
画一性を追求するので同じ価値観にしようと説得する
矛盾を排除しようとし、対立する。
相手が自分と同じ価値観・考え方でないと一緒にできないという人間は、自分しか愛せない人間であり、ニセモノの愛である。
2.愛が文化になっていない
愛は、自然発生的なものと考えれている。
農業は、英語で、アグリカルチャアと文化という言葉がはいっている。
職業で、文化になっているのは、農業だけ。自然発生的なものから進化させている。
愛は、人間が人生を生きるための力にしなければいけない。
愛を文化にしないといけない。
3.愛が学問として根拠を持って研究されていない。
文学のテーマでしかなかった。
愛のバリエーションに悩み、愛に苦しむことになっている。
4.愛を能力として考えることがなかった
愛を情緒、感情としていると、成長させるという発想がない。
愛は、能力と考え、成長させていく。
理性能力は、脳に限定される能力である。
愛は、命を産む能力、命を育む能力であり、命を満たす能力である。
対立や戦争は、人間のこころの中から始まる。
心の中に平和の砦を築かなければならない。
平和の砦とは、愛である。
8/19 大阪思風塾にて