今月は、カレンダーにない言葉の紹介です。

0812

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新しい人間観と新しい生命観(2)
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人間の3要素は、「感性・理性・肉体」

次に「肉体」と「理性」と「感性」という
3つの要因から人間が成り立っているとすれば、
一体この3つのどれが、
我々が「私」「俺」「自分」と言っているものなのでしょうか?

そこでまず、肉体からみていきますと、
「肉体」を構成している物質的要素は、
新陳代謝という働きによって約6カ月から2年くらいの間に全部入れ替わってしまいます。

ですから、「肉体」は、生まれてから死ぬまでずっと変わらない真実の「私」という
根拠にはならないということになります。

次に、「理性」はどうでしょう。
「理性」という能力は、生まれた時には存在しませんし、
また、眠っている時には働いていません。
ですから、理性をもって、
我々が生まれてから死ぬまで変わらない「私」という存在を支える能力だ
ということもできません。

最後に、「感性」という能力は、
人間が生まれる前からずっと命の中で働き、
死ぬまで人間の中で働いているものです。
命の中から感性の働きがなくなったら、
「人間は死んだ」ということになります。

ですから、「肉体」でもなく、「理性」でもなく、
「感性」というものが
我々が「私」「俺」「自分」と言っているものだということが分かった訳です。

そこで、我々が「私」と言っているものが、「感性」であり、
「感性」が人間化されたものが「心」である、と言えるのです。

人間は、理性を満たすものをいくら与えられても、
それだけでは決して本当の満足を得ることはできません。

また、肉体的欲求がいくら満たされても、
それは刹那的な満足にすぎず、本当の喜びというものは得られません。

人間が、最終的に本当に満足するのは、
自分の「心」(=「感性」が人間化されたもの)が本当に満たされた時なのです。

そういうことから、「人間の本質は、感性である」と言うことができます。

この「感性」というものは、
常に人間の心を本当に満たしてくれるものをどこまでも追い求めていきます。
「感性」は、常に真実を求めているのです。
常に感動を求め、素晴らしいものを求めています。

しかし、これだけではまだ、「人間の本質は感性である」ということや、
「我々が「私」「俺」「自分」と言っているものが感性である」、
ということに対する本当の哲学的な根拠には足りません。

(続く)




今日も素晴らしい一日でありますように!



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