先週、青山のサロンで本の話になっていて
 
「shihoちゃんは、本は読まないの?」って聞かれて。
 
かつては漫画さえも読まない人だったけれども
この10年で触れた本は数知れず・・・
 
けれども、そこで2人が話していたのは小説のことでした。
 
小説?
 
そう言われて、ふと気づく。
 
あんなにたくさんの本に触れてきたけれども
まったくもって小説は読んでこなかったことに。
 
 
 
私が読んだで覚えている小説はたった1冊。
 
それは、かつてこの日記の中でも書いたけれど
不登校の小学5年生で
東京の御三家進学校の中でもトップである
開成中学を目指していた男の子が
好きな本としてあげていたもので
そんな小学生がお気に入りになるような本ってどんな内容なんだろう
と、その子と話をするにあたって
その子の世界観に触れてみたいと思って読んだものでした。
 
その1冊は、
私にとって予期せず忘れられない感動があって
最後に泣いてしまった私がいて
その子が大切にしていることって
勉強とかではなくて、そういうことなのかって
それが私の中でとっても愛おしくって
大切な思い出になっていたけれど
 
それでも、
その後に小説を読もうとは思わなかった私がいました。
 
 
どうしてかな?
 
小説が素敵な世界観だなって思ったのもあったけれども
それは本当のその子に触れるための手段だったからだろうな。
 
その小説は、小学生という等身大の僕が書いていて
大人のお姉さんが登場する。
 
 
あの時、その小説に出会ったというのは
小説という作り話を通して
私たちを見ることになっていたという巡り合わせ。
 
私は、その時
その子のお母さんのカウンセリングを担当していなかったからこそ
その子がお母さんのカウンセリングを待っている間に
ゲームをしながらずっとうつむいている時に
話をするようになったわけで。
 
自分で選んでいるわけではない
人との巡り合わせってそういうことなのかなって思います。
 
 
 
 
その子のことを思い出すと
 
今頃はちょうど高校生になっていると思うけど
 
どんな高校生になったんだろう
 
東大を目指しているのかな?
 
あの時、私が
「お守りだよ」って言ってあげた石はどうなったかな…
 
私があげたものを
大切にしていてほしいということではなくて
そこにもまた思い出があって。
 
 
その石をあげた後、
学校に行けるようになったみたいで
工作をすることになった時に
私があげた石の台になるものを作ったのだと
カウンセリングにきていたお母さんから聞いて
私は本当に嬉しかったなって思い出して。
 
 
「お守りに石をあげるよ」って私が言った時
 
最初は、遠慮していて
「いいです。」って一度は断ってきた後に
本当は欲しかったんだとわかって、
私が持っていた箱の中から石を選んで。
 
あの時、
その石を「どうして選んだの?」って尋ねたら
 
「地球みたいだから」って
 
まんまるい緑のフローライトを選んでいたっけ。
 
その子にとって地球は
透明感のあるものなんだって
感じていた私がいたなって。
 
 
あの時、あの箱は
パンドラの箱になっていたのかもしれない。
 
 
 
 
私にとっての唯一の小説って
そういった少年とのことを思い出すもので
もう逢うことはなくても、
ずっとずっと思い出すもので。
 
 
それ以上の体験は
もうきっと小説にはないと思うから
 
私はこの先も
小説を読むことはないとおもう。
 
 
人を想う以上に
大切な時間はないのだとおもう。
 
 
shiho