新たな一歩 | 膵臓癌と闘うおはぎときなこのブログ  絶対3%に入ってやる!

膵臓癌と闘うおはぎときなこのブログ  絶対3%に入ってやる!

39歳で膵臓癌と告知されたおはぎとその親友きなこのブログです。
2人とも看護師ですが、おはぎは患者さんの立場になり、きなこはその家族のような立場になりたくさんのことを学びながら日々格闘しております。
きまぐれ闘病記ですがお気軽にご覧下さい。

お久しぶりですニコニコ
きなこです。

新年のご挨拶が遅くなりましたガーン

明けましておめでとうございます。
新しい年を皆さんどのように迎えられましたか?
闘病を続けられている方やそのご家族、それぞれの想いで迎えられたと思います。
私たちも新たな道を歩めることに幸せを感じながら、いい時間を過ごしていきたいと思います。


さてさて、
おはぎの5年を迎えた想いのブログに沢山のお祝いのお言葉、いいね👍を頂き有難うございます。
(その他の記事も沢山の方々に読んで頂き有難うございます。)

おはぎから5年の想いを家族の立場から書くようにずっと言われていました滝汗
書くように言われると書けない私チーン
今までおはぎにブログ更新して❗️と言い続けたのに相変わらずの自己中な私ですてへぺろ



5年…
正直迎えられるなんて思っていませんでした。
最初に見つかった時は末期の状態。
膵臓を大きく巻き込んだリンパ節を見た時、ぐちゃぐちゃな腹部の画像...今でも目に焼き付いています。
あの凍りついた冷たい空気が流れた診察室も忘れられるものではありません。
帰り道に「抗がん剤で苦しい思いしながら、やりたいことも出来なくなって死ぬのは嫌だ」「私は私のやりたいことをやって死にたい。私の人生なんだから口から出すな!」っと言ったおはぎの言葉も、クルマの中で大喧嘩になって泣きまくったあの日を忘れる事はありません。

「1人で生きてきたと思うな!」
と言い放った私の一言から始まり、周りの人が「治療が出来るならやって欲しい」「生きていて欲しい」という強い思いから、おはぎの心が少しだけ動き、始まった抗がん剤治療。


治療の説明を受けて、さぁ頑張るぞ💪と意気込んでいたのに、説明の最後に「効果は不明です。治癒は望めません。最後の時を迎える場所を今から考えておいて下さい」と言った主治医。
訳が分からない....

この時は病棟の師長さんに別の場所で声をかけられ、「頑張ろうと思ってるのになんで最後の時なんて話をするのか意味が分からない」というような事を言いながら、不満をぶちまけました。
今考えれば、その言葉の意味は分かるんですけどね...
自分が望む最後を迎えられる人なんて一握りのように思います。
どんな時も自分らしさを忘れずに1日1日を過ごして欲しい、という主治医の強い思いだったんだと思います。

死を意識しながら過ごす事って非日常ですよね。
誰もが明日がある事を疑わないから。
明日があるなんて絶対ではないんですよね....
最後をどこで迎えるかというのは、考えたくもないけれど、その人の生きてきた締めくくりをその人らしく締めくくれるように準備をすることは急には出来ないから。緩和病棟のある病院も限られていますし、いざとなった時に入りたいと言っても待たされるのも現実なんです。在宅で最後を迎えるのも沢山の準備が必要です。
おはぎが私の人生と言ったようにおはぎらしくという事を最後の日を迎える時を含めどうしたいのか、どう考えているのかを知る事は本当に大切な事。

おはぎは在宅を選択しています。
おはぎの気持ちに寄り添ってもらえるような往診医を探すのも何ヶ月もかかりました。
介護認定を受けるのも最短で1ヶ月以上かかります。
年齢が40歳だったから「末期がん」でないと認定されない介護保険。
末期がんの意味が分かってるのか?と思うくらい手続きには時間がかかります。
不正などあったらいけないし、仕方がない事かもしれないけど、明日があるのか...という気持ちでいただけにこうしたて続き一つに毎回憤りを感じてました。
自分らしく最後を迎える準備というのは簡単じゃない。
おはぎが
「私はがんだから自分の死を考える事が出来る。準備する時間があるだけ幸せだ」
とよく言ってます。
考えたくもない事だし、とても怖い事だけど、思い通りににはならないかもしれないけれど...
おはぎがおはぎらしく生きるために準備をする事はとても大切なんだと学びました。

こうやって振り返っていると色々な感情が蘇ってきちゃってダラダラと長くなってしまいます。
短いようで長く、長いようで短かった5年。
苦しいことも悲しいこともいっぱいあったけれど、それ以上に幸せな日々がいっぱいだったと思います。

また沢山の事を学ぶ日々でした。
私は看護師としてこんなことも知らなかったんだ...
近くで寄り添う家族もこんなにも苦しいんだ...と体験して学ぶ事はとても大きいですね。
今は患者さんはもちろんですがそのご家族や友人にも寄り添うように心かけています。


おはぎはまた新しい一歩を踏み出します。
昨年末から検査の結果が思わしくなく、今年は治療にも変化がありそうです…
また大きな大きな山を超えないといけないです。


私が落ち込んでいると同僚が
「おはぎちゃんの身体も大切ですけど、もっと自分の身体と魂を労ってあげてください。きなこさんのまーんまを認めてあげてくださいね。きなこさん、泣いてもいいですけど、笑いましょう。幸せは笑っている人に宿ります。」
とLINEをくれました。
少しでも笑って過ごそうと思います照れ

最後に....
この5年。頑張っておはぎらしく生きてくれてありがとう。
これからも言いたいことは言い合ってぶつかり合って一歩一歩進んでいきましょう口笛
もし、BSC(ベストサポーティブケア)の選択をしなければいけない事があったら、その時はもう何も言わないと私は決めています。
それがおはぎの選択であればその選択を精一杯支えたいし、おはぎらしく生きるということが1番大切なんだってやっと思えるようになったから。

おはぎらしくまた目の前の山を登ってね。
頑張っていこうね爆笑

おはぎのご両親、お姉ちゃんを始め沢山のお友達、ブログを読んでくださっている皆さまの支えに感謝します。

ありがとうございます

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おはぎ45歳のお誕生日も無事に迎えましたニコニコ
「幸せのてんとう虫」というケーキでお祝いですウシシ

幸せいっぱいの1年になりますように...





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