C病院で、消化器科と婦人科の受診です。
実家から両親と姉も来てくれました。
まずは、消化器科です。
消化器科の医師は女性で自分と同世代ぐらいの人。
CTとMRの読影の結果(画像を読む専門の医師がいるのです)から、膵臓もあやしいが婦人科系の癌ということではないか、ということ。
医師は癌と言う言葉を極力使おうとせず、いろんなことをオブラートに包む感じの説明で、相手の立場に立った、切ないですよね…。と言わんばかりの丁寧な説明の仕方であった。
私は、祖父が膵臓癌であったように自分も膵臓癌だと予測していた。
これは読影の見落としなのか…。
私が痛いのは下腹部なんかじゃない!
心窩部痛(みぞおちあたり)だった。
次は婦人科受診。
やはり卵巣癌の可能性が高いと。
子宮癌検査の結果は、陽性。
しかし、これだけでは子宮癌とはいいきれないそうです。
卵巣の癌細胞が卵管を伝って流れ子宮内にとどまっており、それが検査で拾われ陽性になることもあるとか。
きちんと子宮の癌を確認するにはもう一段階進んだ、子宮の細胞診が必要だということ。
この検査は、次に行くG病院でやってもらうことにして、紹介状を書いてもらいました。
ここだけの話、自分が勤めていた病院の悪口みたいなことはあまりいいたくありませんが、この婦人科の医師の病状説明の簡単なことったらありませんでした。
診察に入るなり、まだ両親や姉が椅子に座ってもいないうちからMRの画像を広げ、これが卵巣癌ですね。サラっという感じ。
私が医療者と知っての対応だとは思いますが、それにしてもひどい。
まだ癌と確定されていない希望を持った患者さんであればショックだと思う。
もうちょっと気配りのある、ペースを考えた説明ができないだろうか。
よくいえばサバサバしている、悪く言えば冷たい対応に驚きました。
まぁ、私はわかるからいいんだけど、わざわざ医師の説明を聞きに来てくれた両親と姉に申し訳ない気持ちになった。
そんな中でも私は少ない言葉からいろんなことを察し、ここの病院で治療を受けるわけではないから、まぁいいやと割り切ることにしました。
卵巣癌と聞いて少し腑に落ちない心のどこかに「?」を置いたまま、次回からはG病院に行くことになった。
そして病院の帰り道、きなこと言い合いになった。
卵巣に癌があり、膵臓もあやしい。
看護師をしてきた経験上、これは末期癌だ。
自分の中で余命は3ヶ月~半年だろうと…。
この命の短さではもう辛い治療を選択する余地はない。
痛みや症状を緩和するだけの治療を選択する、ときなこに言った。
反対された私はこう答えた。
「私の人生に口を出すな!」と。
それに対し、きなこは、
「ふざけるな!」
「一人で生きてきたと思うな!」
って怒鳴られた。
二人で大泣きした。
そして、やるだけやってみようって気になった。
この意思が固くて頑固なこの私が説得されたのだ。
それもこれも、育ててくれた両親がいてくれるから、姉がいてくれるから、私をとりまくたくさんの友人、先輩達、後輩達がいてくれるから、きなこがいてくれるからだ…。
その日から、治療に専念しようと覚悟を決め、きなことの夢であったカフェも閉店の手続きをする運びとなった。

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