どちらが、正しいとか間違いとか、
その二つの論理の間で、議論しても何の意味もない。
なぜなら、
今、世界で、行われているのは、
どちらが正しいか、
どちらが間違っているか、
を、選択させること、
二つの論理の間で、議論させること、
そのものが、目的だからだ。
その、二元のバインドに、
かけられていること、
が、行われている、という、
視点で、物事を観ることが必要です。
その罠から、そろそろ、
抜け出ないといけない。
二元の、善悪の、
どちらがどうだ、と、
偏らせることそのものが、
目的であるということ。
そのどちらかを、握らせることが目的。
どちらかを、握らせていれば、思考停止させられる。
予め、どちらかが正義で、
どちらかが悪です、といった、
二元の思考のバインドがかかっている。
まずは、そのどちらでもない、どちらも正解ではない、
正解、を、手放さないといけない。
どちらが正しいとかではなく、どちらもあって、バランスをとっている。
では、ロシアが正しくて、ウクライナが間違っているわけではない、
一方が正しくて、一方が間違っている、という、
この二元論自体を、「見せたい」わけ。
目的は、思考停止だ。
常識だとか、こうあるべきだとか、自分で考えさせないこと、
正しさとは、これで、
間違いとは、これです、といった、
思考停止状態に導くために、
もう、それは、大きな演出が繰り広げられている。
というのは、持論だけれど、演出ではなかったとしても、
問題は、
善悪の二元論に、
束縛させられていることにある。
本来は、二元ではなく、中庸=ゼロをポイントに、
ルートは、解釈は、どこまでも自由なのだ。
かといって、中庸が見極められていない状態での、
自由解釈は、単なるわがままであり、自己中心的なものにしかならない。
良い悪いはない!自由に好きに、らしく生きていい、と、安易に、何でもありになる人も続出しているが、
それは自由ではなく、無意識の塊でしかない。
事実、を見極められないといけない。
多くが、自分と一体化している今の時代、
常識だとか、自分の考えだとかと、一体化していると、
(普通はこうでしょ、が主語になっている(一体化)
それは、事実ではない、単なる解釈であるということ。
馬淵氏も仰っているが涙(本当に泣きたい、、その通り)、
日本人の多くが、無意識レベルで、
二元論のバインドの中にいる。
プラカード持って、反対デモを起こしたら、
それは、反対している勢力を強めることになることを、お忘れなく。
どちらかを握らせたいのだから、
どちらも起きていない、という、中庸に還ること。
抽象度を上げるのだ。
上から見るのだ。
どちらもあって、結局成り立っている。
その、選択肢が少ないことに、問題があるのだ。
どちらも、善でも、悪でもないのだ。
私がヨガをしているのも、伝えているのも、
この、善悪という二元論からの脱却と、
自分と一体化した状態から、脱却しない限り、
本当の平和は訪れないからだ。
本当にその通りのことを、仰っています。
馬淵さん。
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