自分が不在ではない、とは、俯瞰の視点が存在する、ってことです | ヒキザンガヨガ

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ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!

 

太陽と月じゃ。
 

 
朝、これ見ると、
 

 
今日、1日、
 

 
がんばろう、って思う。
 

 
調律されるというかね、
  

 
自分に、
チューニングが合うんです。
 

 
自分の静かなところに。
 

 
これ以上でも、
これ以下でもない、
 
 

ところに。
 

 
この言葉、
 

 
昔、よく、自分に言い聞かせていた頃があって(?なぜか忘れた)
 
 

この言葉を、
 

 
ヒキザンガの、
自分に真剣な生徒がね、
使っていて、
 

 
じわじわじわり、ときました。
 
 
 




 
例えば、毎日、無意識に、
 
 

6時にアラームかけて、
  

 
起きた瞬間から、
ルーティンが始まっていた頃は、
 
 

なんかこう、
外へ外へと、
合わせていく始まりだったのだが、
 
 

朝、この時間に、
余裕を持って起きるとよ、
 

 
内へ内へと、
合わせていく始まりになるので、
 
 

自分が、
不在とならずに、
 

 
ひとつひとつのタスクが始まるのです。
 

 
自分が、不在とならずに、というのは、自分に、チューニングを合わせる、というのは、自分を、大事に、という意味ではありません。んなの、エゴまみれっ、重っ、プログラっ‼️



自分を、
俯瞰して観る視点があった上で、
始まるという意味です。



その視点が、
自分の本質であり、
その視点と繋がることが、
ヨガの最大の目的です。
 

 
その視点は、自分がマリオなら、マリオをコントロールする、コントローラーを持った、画面の外にいる視点です。
 

 
この視点が不在となると、自分が自分に飲まれ、自分という視点からしか、世界が見えなくなります、自分の主観が正しい、という視点からしか、物事が見えなくなりやすいです、



が、
 

 
マリオという自分をも、外から見る、画面の外の自分が存在することで、自分だけではなく、自分以外のすべてのものを、180度ワイドに、見ることができます、
 

 
自分が不在とならない、
その意味は、
 
 

抽象度の高い視点で、
 

 
全体を見るチカラ、
 

 
自分を観て、
 

 
自分をちゃんと、
ハンドリングする視点があるということ、
 
 

自分の主観で動く、は、
無意識なんです、



その、主観を、
観る、視点があって、



主観、は、
役に立ちます。



俯瞰してみる視点があることを、
私は、自分が不在ではないと、
表現しています、



つまり、
無意識ではない、
ということ、
 

 
この時間を持ち、
ヨガをすることで、
 
 

1日が、
まるで違うものとなります。
 






 
shiho
 
 
今は、朝の4時15分が、
おすすめです。
 
 
 
shiho