ヨガってさ、
エゴを手放して、
感謝して、
愛。
そして、shanti!
っていうさ、そのとおり、
なんだけど、
本当に、そのとおりなんだけれど、
本当に、それ、なんだけれど、
エゴもやっていない、
エゴもできていない、
または、エゴをやることが大事な最中にいる人、
(エゴはわるくない、エゴを使って、人生楽しむわけ)
手放すんじゃなくて、
やりきることが大事なのに、
手放しましょう、吐く息とともに、そのエゴを、自分の体外に出すイメージをしましょうとか、
感謝しましょう、愛。
シャンティー!
完。
ってさ、ぶっぶっぶー、
そういうことを体験したのなら、
そういうことを体験するまでの道のりをシェアしてくれんと、その言葉らに違和感や不快感や、それ本当?宗教?みたいなイメージ、持たれるの、致し方ないと思うんだ。わたしゃ。わたしがそうだったもん。
エゴをしっかり愛でて、自分が持って生まれたクセを、楽しんでやりきる、ってことが必要な人に、エゴは手放しましょうっていうのってさ、本人が、エゴをやりきり、飽きるまでね、で、解消して、昇華した感になるときに、手が緩んで放れてく(意識的に手放す必要があるときもある)んだとか、エゴをやるどころか、自分のエゴがなんだったのかも、もはやわからなくなっている、常識スーツと一体化してしまっているひとたちに、エゴを手放し、感謝し、シャンティー!とか言ったら、そりゃぁ、過程すっとばして、シャンティーとか、スピに逃避するよ。
その人が今どこにいるのか、その人が今どこで止まっているのか、その人の目の前にあるものはなにか、によって、人によって、
ヨガってのは、
思いっきり、エゴイスティック!になってオッケー!
って段階の人もいるし、
思いっきり、力づくで、闘って、闘いまくる段階にある人もいるし、
思いっきり、自分の内側に溜め込んだネガティブを感じる、体験する、口に出す、表現する(注:理性をもって)必要がある人もいるし(ポジティブなイメージしましょう、なんてとんでもない!)、
みんなちがう。
とりあえず、本日出てきたのが、それ。
以上!
では、
エゴを手放して、感謝して、シャンティ♡な1日を!爆
エゴを回して、エゴを使ってやりたいようにやって、自分を見て、そんな自分と共に歩み、そのうち感謝は湧くから、大丈夫、自分をやりきれ。自分の内側にあるものをやりきれ。シャンティーは本当にある。それは、自分をクレンジングしたら(エゴをやって、ネガティブやって、こだわりまくって、執着しまくって、この世界のどろどろをおもいきり楽しんで!)、やってくるもの。
シャンティーって、思い込むのは、その奥深くにある、自分の泥が見えなくなるよ。
shiho
最高の練習をしてる、毎朝。
みんなも、やろう!