エゴはやるの、執着はするの、こだわりきるの、それ、手放すのはちゃうわ。 | ヒキザンガヨガ

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ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!






 

ヨガってさ、



エゴを手放して、

 

 

感謝して、

 

 

愛。

 

 

そして、shanti!

 

 

っていうさ、そのとおり、

 

 

なんだけど、

 

 

本当に、そのとおりなんだけれど、

 

 

本当に、それ、なんだけれど、

 

 

エゴもやっていない、

エゴもできていない、

または、エゴをやることが大事な最中にいる人、

(エゴはわるくない、エゴを使って、人生楽しむわけ)

 

 

手放すんじゃなくて、

やりきることが大事なのに、

 

 

手放しましょう、吐く息とともに、そのエゴを、自分の体外に出すイメージをしましょうとか、

 

 

感謝しましょう、愛。

 

 

シャンティー!

 

 

完。

 

 

ってさ、ぶっぶっぶー、

 

 

そういうことを体験したのなら、

そういうことを体験するまでの道のりをシェアしてくれんと、その言葉らに違和感や不快感や、それ本当?宗教?みたいなイメージ、持たれるの、致し方ないと思うんだ。わたしゃ。わたしがそうだったもん。

 

 

エゴをしっかり愛でて、自分が持って生まれたクセを、楽しんでやりきる、ってことが必要な人に、エゴは手放しましょうっていうのってさ、本人が、エゴをやりきり、飽きるまでね、で、解消して、昇華した感になるときに、手が緩んで放れてく(意識的に手放す必要があるときもある)んだとか、エゴをやるどころか、自分のエゴがなんだったのかも、もはやわからなくなっている、常識スーツと一体化してしまっているひとたちに、エゴを手放し、感謝し、シャンティー!とか言ったら、そりゃぁ、過程すっとばして、シャンティーとか、スピに逃避するよ。

 

 

その人が今どこにいるのか、その人が今どこで止まっているのか、その人の目の前にあるものはなにか、によって、人によって、

 

 

ヨガってのは、

 

 

思いっきり、エゴイスティック!になってオッケー!

 

 

って段階の人もいるし、

 

 

思いっきり、力づくで、闘って、闘いまくる段階にある人もいるし、

 

 

思いっきり、自分の内側に溜め込んだネガティブを感じる、体験する、口に出す、表現する(注:理性をもって)必要がある人もいるし(ポジティブなイメージしましょう、なんてとんでもない!)、

 

 

みんなちがう。

 

 

とりあえず、本日出てきたのが、それ。

 

 

以上!

 

 

では、

 

 

エゴを手放して、感謝して、シャンティ♡な1日を!爆

 

 

エゴを回して、エゴを使ってやりたいようにやって、自分を見て、そんな自分と共に歩み、そのうち感謝は湧くから、大丈夫、自分をやりきれ。自分の内側にあるものをやりきれ。シャンティーは本当にある。それは、自分をクレンジングしたら(エゴをやって、ネガティブやって、こだわりまくって、執着しまくって、この世界のどろどろをおもいきり楽しんで!)、やってくるもの。

 

 

シャンティーって、思い込むのは、その奥深くにある、自分の泥が見えなくなるよ。

 

 

 

shiho

 

 

 

 

最高の練習をしてる、毎朝。

 

みんなも、やろう!

 

 





 

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