❷「しほは強いから」って言われてよ。 | ヒキザンガヨガ

ヒキザンガヨガ

ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!

imageで、自分ではない、何か、になろうとする時期があるから、本来の自分に戻るわけでして、

 

 

 

なんでもいいんですよ。

 

 

 

窮屈な型にはまることで、自分を知る。

 

 

 

窮屈だな、って思っても、しばらくは、その窮屈な型の中で、もがく時期ってめたくそ大事で、窮屈な型があるから、自分が持って生まれたものの性質がわかるわけじゃないですかね。

 

 

 

うさぎが、ライオンという型になろうとして、なれなくて、でも、憧れて、なりたくて、なろうと頑張って、でも、なろうとすればするほどに、ライオンとは違う、ライオンにはなれない自分の欠片をつきつけられる。

 

 

 

実は、その欠片が、自分の可能性であったりする。

 

 

 

ま、中には、その欠片で、修正をかける必要があるものもあります。

 

 

 

だから、窮屈な型にはまることなく、わたしはわたしらしく生きるのだ!と、窮屈な型になる時期を体験せずに生きると、修正をかけるべき自分が見えないので、要は、自分が見えないので、自己満足、自己中ができあがるわけですな。それは、私らしさか、というと…、、、。

 

 

 

この型は、私にとっては、この先も必要です。私とは異質な人という型を知ることで、入ることで、新たな自分を発見するから。自分の中だけに籠るのは、自己満足だなぁと、独り活動してきて、つくづく痛感していて、

 

 

 

だから、窮屈な型にはまる時期はこの先も大事で、えーと、型に(誰かになるのではなく)はまらずとも、自分とは違う生き物と違うエネルギーを交換しあうは、大事やなぁと。

 

 

 

この世界には、これまでの時代には、その窮屈な型ばかりで、大変よか!な時代であったと思います。

 

 

 

完璧な人物像、理想の人物像、

 

 

 

完璧なお母さん、完璧な先生、完璧な部下、完璧な生徒、完璧な自分、みたいな、完璧で綺麗ででも窮屈な型が、そこらかしこにある。

 

 

 

そこに入ってみたら、そこに向かって頑張ってみたら、窮屈な型でがんばった中で、はみ出たところ、はまれないところ、はまれるところ、などなど、その凸凹さが、本来の自分を教えてくれていて。

 

 

 

でさ、完璧を目指す時代ってのも、面白かったじゃないですか。それがないと、この文明社会はできあがらんかった。

 

 

 

完璧な窮屈な型(それが楽しい人がそれやってたらええ話)の中で、

 

 

 

・はまりきれない自分

・はみ出す自分

・はまれる自分

 

 

 

いろいろな方がいらっしゃると思うのですよ。

 

 

 

その型の中で知れた「自分」が、オリジナルな自分ですのでね、

(はみ出ようが、はまりきれなかろうが、はまれる人も)

 

 

 

その型で知れた「自分」=「特質」をもって、そろそろ、型を破る時期ではありませんかね。と、思ったりするのです。




"友人"うさぎに、

「しほはつよいから」



と言われまして。



自分を弱いと決めた友人に、 



"しほ"ライオンは、

その弱さは、強さなんやけど、と。

思いまして。



その"弱さ"とタッグを組んだら、

だれよりも強いのに!と、



友人に思った次第でありまふ。

 

 

 

しほは強い、と言われまして、

BLOG2.より。


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