高速バスなう。


石川県にある、旦那の実家に、私一人で向かっている。


旦那と子どもたち…マリンとランドは、昨日、ひと足先に出発した。


私だけ、カッタ(柴犬)のお世話があるので、昨日は家に居残りして、昨夜と今朝、散歩とエサと水を済ませてからの、今、日帰り旅。


北陸行きのバス旅は、景色が良くってなかなか楽しい。




今年のお正月は、スカイと旦那が、それぞれ一日ずつ、カッタのお世話のために、時間差で帰省した。


今年…2024年の元旦。




そう。




ーーあの日である。




大晦日、スカイを残して、旦那と私と、マリンとランドの4人が、先に石川県に向かった。


スカイは、地元で過ごす最後の大晦日を満喫すべく、お友達との予定確認に忙しそうな様子で…翌日の一人旅も、それは楽しみにしていた。


そんなこんなで、旦那の実家で大晦日を例年通り…美味しい海鮮に囲まれてすごし、年越しそばを早めに食べて、実家近くのホテルで4人で一泊。


翌日の元旦は、朝ものんびり、ホテルのバイキングを食べたあと、旦那らは初詣へ。


マリンもランドも、従兄弟のお兄ちゃんズに遊んでもらって、大満足。


遅めのお昼はお雑煮で、やっぱりのんびり。


スカイは、当時、名古屋ー金沢間が直通だった特急しらさぎで、ルンルンの一人旅模様を、Instagramで上げまくりながら、石川県へ。


お昼過ぎに無事到着して、やっと家族5人が揃ったところで、ご近所へお土産の買出し。


午後二時過ぎ、カッタのお世話のために、旦那だけ、愛知県の自宅へ出発。


私と子どもら3人と従兄弟のお兄ちゃんズは、おじいちゃんおばあちゃん、それから叔母さんにご挨拶して、ニ日目の宿泊先へ出発。


チェックインを済ませて、和室の畳でのんびりすること一時間ほど…


全員のスマホとガラケーから、ほぼ同時に、けたたましい音が鳴り響いた。









ーー南海トラフ⁉︎







なんて言うか、とりあえず地震が来たら、南海トラフと思ってしまうのはまぁ、仕方ない、仕方ない。


(仕方ないよね⁉︎)



当日、私たちの居た部屋は、七階建ての建物の五階。


P波と思しき、小刻みな…でもそれなりの震度の横揺れがおさまった後、同じくけたたましい警報音に続いて、S波らしき激震がやってきた。


ーー地震アラートは、案外使える。


とかなんとか、動揺を通り越した現実感の無さで、あさってな方向に余計な頭を使いつつも…


ーー咄嗟に、上を見る。


ーー部屋中を見回す。


落ちてきそうなものはない。


危ないのは、窓ぐらいだろうか?


「窓から離れて!柱につかまって!」


ーー揺れが大きい。


ーー長い。


ーーー長いっっってっっ!!!!!



ーーーマジでめちゃくちゃ揺れてるしっっっ!!!!!



ーーーこれ……これ、本当に、
   ヤバいやつなんじゃあ………。



♾️形の揺れが何分も続いて、ランドとスカイは乗り物酔いの様相を呈していた。


「母ちゃん、おいら気持ち悪い…」

「吐く?」

「吐くかも…」


とりあえず、ビニール袋をランドに渡した。


「吐くなら、そこに吐きな。
 我慢しなくていいから」



言ってる間にまた、警報音と次の揺れが来る。


マリンは言葉を失ったように、蒼白な顔で、薄っすらと開いた口で息をしていた。


ろくな対処も出来ない私とは対照的に、従兄弟のお兄ちゃんズの一人が、入り口のドアを開けた状態で、スリッパをかませてくれた。


スーツケースを横に倒すように指示してくれたのも、彼だった。


さすが教職員…学校の避難訓練は、伊達じゃない。


年齢だけダブルスコア越えのおばちゃん(私だよぅ…)より、よっぽど使える。


震度五とは思えない大激震の中で、子どもの頃、避難訓練をちょっと馬鹿にしていたことを、猛省した。


ニ度目の揺れがおさまって、とにかく水を確保した。


今のうちにと、スマホを充電。


旦那と実家に、LINEで取り急ぎ、今のところ無事と伝える。


テレビをつけると、当たり前だけど地震速報の最中だった。


三度目の揺れ、四度目の揺れ…


ーーこれ、この建物、いつまでもつのかな…


一度目は耐えられても、何度も度重なると、持ち堪えられなくなることがあるとか、聞いた事がある…。


でも多分、♾️の形に、大袈裟に揺れるということは、免震がしっかりしているからなんだろう。


ーーそうだと思いたい。

ーー誰かそうだと言ってくれ!!


てゆうかこれ、もしここで、私たちに万一の事があったら、残された旦那が可哀想すぎるだろ………


従兄弟のお兄ちゃんだって、まだ二十代前半だ…


ーーどうにか、この子らだけでも助からんものか。


こうゆう時、人間は案外と、自分のいのちよりも、その他の人たちの事を考えられるものなのだと、この時初めて実感した。


まぁでもそりゃそうか。


危機に直面した時に、自分の事しか考えないように出来ていたら、人類なんてとっくに滅びているに違いない。


とは言え、ここまできたらもう、この建物の耐震性頼みである。


ここは五階。津波の心配は、まず大丈夫だろう。


ここまで持ち堪えているんだから、どこに逃げるより、このままここにいるのが最善策のはず。


どちらかと言えば、津波が心配なのは、実家の義父母の方だ。


この地震の数十分前、従兄弟のお兄ちゃんズのうち、兄の方が、マリンの忘れ物(携帯電話💧)を取りに、旦那の実家に戻ってくれていた。



携帯を忘れてきたとマリンが言った時は、正直、


馬鹿者ーーー!!


と思ったが、こうなったらむしろ超ファインプレーである。


従兄弟のお兄ちゃんが、義父母を無事に誘導して、避難させてくれると信じよう。


と、祈る思いで、旦那の実家の様子をLINEで尋ねたところ…


ーーまさかの義父、避難拒否が発覚!!




大馬鹿者ーーーーーー!!!



いや、お義父さんごめんなさい🙏



でも……でも、あのですね?



四の五の言ってないで、とっとと避難してもらえませんかね⁉︎⁉︎⁉︎


ーーいつも温厚なお義母さんが、流石にまじギレしているらしい。


当たり前だよ!!!


てゆーか、Mくん(従兄弟のお兄ちゃん)!!


今すぐおじいちゃんを何とかしてあげて!!


ーーと…その場の全員が、離れた場所で祈る思いでいたのを知ってか知らずか。


義父は最後まで避難拒否のまま通したらしい…


ーーあの家の辺りには津波、来なかったからよかったものの……😱😱😱



さて、そんなこんなで、当然、宿泊先の宿も、一時チェックインをストップ。


スタッフ総出で館内点検中と、館内放送が流れてきた。


夕飯も遅れるもよう。


ーーいや、夕飯遅れるとか全然大丈夫だけどね。


さっきからアドレナリン出っ放しで、全っ然!!空腹感ゼロだから😂


ともあれ、二時間ほど遅れただけで、バイキングは普通にスタートした。


ーーマジ、プロだわ。


他の部屋のお客さんたちも、誰一人パニックする事なく、誰一人文句も言わず、粛々と、自分たちの順番がくるのを待ち…


なんていうか、こんな時になんだけど、いい国だなって思った。


スタッフさんも、お客さん達も、皆んな皆んな素晴らしい。


などと…続く余震の中、一周回って感動の域に達した頃。


館内放送よりも、なんなら地震アラートよりも頻繁に鳴り始めたのは、スカイのLINEだった。



ーー石川来る途中、Instagram上げまくってたって言ってたもんねぇ…


鳴るよねぇ、そりゃあ…


ママの方は、流石に相手も大人たちなので、こんな非常時にLINEでスタ連してくるようなおバカはいない。


が、そこはそれ、スカイの友達は相手も高校生なワケで…


『大丈夫か⁉️」


のスタンプの嵐、嵐、嵐…いやもう、地震だけでお腹いっぱいだから‼️


とは言え、ママの友達たちだって、何も言ってこないだけで、心配はさせているに違いない。


お正月は石川だって、皆んな知ってるし。


とりま、LINEのステイタスと、タイムライン、それからFacebookのタイムライブにも、



「とりあえず家族全員無事です」


と、上げておいた。


その夜は一晩中、余震の度に、うたた寝を中断され……温泉宿でゆったりまったりの予定が、非常事態中の非常事態という、まさかの正月となった。


一夜明けて、一月二日。


どのテレビ局も、地震、地震、地震…📺


新幹線も、特急も、一旦全線ストップ。


払戻しに行った駅では、駅前の建物の渡りの屋根が崩落していた…


前日、愛知の自宅に帰っていた旦那が、カッタのお世話をした後で、迎えに来てくれることになった。


しかも、当時の北陸は高速も止まってる所があって。


加賀インターから下道を走って、宿泊先まできてくれた。


わずか3日の間に、愛知ー北陸を2往復。


大変かたじけない…でも、運転は代われません。


ごめんなさい🙏


(被災云々の前に、ママの運転は単に危ない)


ーー私たちは、これで被災地を離れて、それで多分、今回は助かる。


ーー私たち、は。


どうすることもできない後味の悪さに後ろ髪を引かれて……かと言って、その時は何一つ…本当に何一つとして、出来ることはなく。


無事に、ちゃんと帰宅して、ちゃんと日々の生活を回して。


復興支援をすることぐらい、しか、無いって分かってる。


ーー分かっては……いる……。





そうして。


家族全員が無事だったものの、それから数ヶ月間、何となくみんな……おかしかった。


特にマリンは、いつにも増して、ストップしている時間が増えていて。


ママは、人生イチ、というか、生まれて初めて、こんなにもやる気の無い自分というものに、出会った。


ランドは、いつにも増してママにべったりになり、スカイは…受験が終わったのをいいことに、糸の切れた凧みたいになっていた。


多分それぞれが、口では無事を喜びながら、助かった実感が持てずにいた。





ーーそうは言っても、時間は待ってくれない。


中高大一斉進学の春はすぐそこで。


3人分の入学関係手続き、購入品の山、制服準備、◯◯金、△△金と、湯水のように消えていく学資金……次々と押し寄せる、書類の〆切……


今書いているこの書類は、誰の、何なのか!?


3月には卒業式が3つ🏫


しかも、なぜか3回とも、雨上がりのやたらに寒い日だったり。


それでも、ちゃんと(?)全部が涙の卒業式で。


お世話になった先生方にお礼をして、いっぱい写真撮って。


写真撮って。


写真撮って。


写真撮って。


写真……まだ、撮るの……?


長くない……?




そんな卒業式三連発の後は、当然、入学式三連発。


からの、入学後書類関係の嵐……っっっ!!!


スカイも。


どんなに遠くたって、容赦なく、書類は飛んでくる!!


リモート時代、恐るべし……!!


そんなわけで。


ママが通常モードに戻れたのは、5月も下旬に差し掛かった頃だったのは…


だから、まぁ、仕方ないと思うんだ。