これが、12/22に与えられた時には、何のことだろうと思っていたのだけれど。




クリスマスイブに大失態をやらかし、翌日から、この2つのみことばが続けて送られてきた頃には、この半年、何が起こっていたのかが、ようやく私にも、少しずつ分かってきた。




『神のなさることはすべて

 時にかなって美しい』


『全てを用いて益としてくださる』




神さまは時々、本当にびっくりするような仕掛けをしていて、そのご計画の一部が明らかになるたびに、主の愛の深さと共に、その…多方面にわたっての、あまりの周到さに、私は思わず苦笑いをこぼしつつ、降参する。


あの大失態が、主のご計画を成就させるための、最後の仕上げだったとは。




クリスマス礼拝のメッセージが心に沁みて。


この半年間、遠ざかっていた平安が、心と身体の隅々まで、満たした。




そんな導きに従って、一台のハープを手放した。


入れ違いにお迎えした、おとつぶハープ。


手にした瞬間、16年前に、今のグランドピアノに出逢えた日が、脳裏をよぎった。


あの日もこんな風に、ほんの少し弾いただけで、


“分かった”


って思ったことを。


たった一音で、分かってしまう。


この子はうちの子だって。


私のために、うちに来るために、作られた子だって。


ふわりと、まぁるく宙に舞い上がる音。


何と言ったらいいんだろう、この、


“確かさ”


主が私に、この“確か”な楽器を与えてくださったという確信。





御霊の実が、豊かに実りますようにと、


【みのり】


と名付けた。





そのたたずまいが、


『何も気負わなくていい

 ただ私に任せてくれればいい』


と言ってくれているようで。



この子と。


新しい年を迎える。


あぁ、なんだかすごく、すごく幸せだ。