
こんばんは。
自分が自分を超える人のサポートコーチおごし志保です。
昨晩は、友人と夜な夜な電話で話してました。
この友人は、高校時代の先輩の妹で
出会いからの月日を数えてみると
えーっ、びっくり
かれこれ30年近くに。
30年ですよ。
30年。
ちょっとコワーイ気が(笑)
21歳の時に彼女と出会ってから
「自分にしかできないこと」
「自分だからこそできるコレ」
を、見つけたくって、そう生きたくって
希望に燃えたり、現実にもがいたり
それは、今も、そんなに変わりがないかもな。
ただ、だてに経験を経てきたわけじゃないのか
現実や本質を見通す力と
自分だけでは生きてはいない事実への感謝は
増しているように思うけど
本質には変わりがないような。
互いの甘いも酸っぱいも苦いも知っているわけだけど
自分の全てをちくいち話して知っているわけではなく
程よい距離感が心地よくって
似た性質を持ち合わせているから気が合うのと
ちがった性質凸と凹が絶妙にはまることができる。
ものごとって、白と黒で割り切れるものばかりではなくって
割り切れないことの方が、ずっと多いかもしれないことを
彼女と話す度に感じるのよね。
私自身、白か?黒か?はっきりせーよ!!
白黒人生に生き、追い求めていたわけなんだけど
これまた、自分だけだけだと
白か黒しか見えないのよね。
白と黒の間にあるのはグレーなのか?
というと、それも思い込みにすぎなくて
実は、白と黒、グレーの他に
無数の色があって
すぐそこにあるのに
見ていない、見えていないわけで
その色は、可能性の数
一方で、思い込みの数と比例している気がしてならない。
自分が理想とする幸せの形だけが
幸せなのか?
自分が理想とする成功の形だけが
成功なのか?
ほんとうに、ほんとうに、そうなのか??
白が幸せ、黒が不幸せみたいね。
理想を持つのも、向かうのも
素敵なことではあるけれど
理想に近づくために
理想を手に入れるために
見えなくなっているもの
失っているものは、ありやしないか??
執着で自分を縛ってはいないか?
100人いたら、100通りの幸せの形があるっていうけど
自分という1人にも、同じことが言えるのでは?
と思うんだけど、どうかな?
幸せってさ
追い求めるものではなくって
感じるもの、ついてくるものだと思うのね。
自分が幸せだと思ったら
人からどう観えようとも幸せなわけで
人から幸せそうに観えても
自分が幸せを感じていなければ
幸せにはならなくって
たったそれだけの違いが
天国と地獄までの違いの様に思えてしまうのよね。
どこから見るか?どう見るか?による
意味づけにすぎないわけで
いろんな角度から観る目を養い
いろんなことも「あり」だとする
自分への許容を持ち
どう意味づけしたら
自分は幸せか?を、選択していけたらいいですね。