再び発作

2022年4月18日(月)の衝撃的な発作の後、夜中に胸が痛んだり、不快感で寝つけない日もあったが、なんとか1か月が過ぎた。その間、普通に出歩いていたし、あまり気にしないようにしていた。希望は完全に捨てていなかったと思う。

 

しかし、完全なる発作が立て続けに起きたのだ。5月25日(水)の深夜、はっきりとした強く速い鼓動は、まるで私に敗北を告げるように波打ち続けた。脈拍は160近い。頓服用に処方されていたベラパミルを飲んだ。1時間以上経ってもおさまらない。充分想定内だ。アブレーション前は、7時間も8時間も止まらないことがあったのだから。午前2時半頃、次第に楽になり脈は90台になっていた。発作性上室性頻拍らしからぬ終わり方だ。突然ピタッと止まったわけではない。前回、病院へ駈け込んだ時と同様だった。

 

しかし、もう確定だ。手術(カテーテルアブレーション)は成功しなかったのだ。近く病院へ行き、今後を考えねば。そう思った矢先、5月27日(金)の午後1時頃、再度、発作に襲われた。強い発作だった。この発作には恐怖を感じた。脈拍は170を超え、立っていられない。昼だったし、心電図をとりに病院へ駈け込まねばならぬところだが、ひとりで病院へ行けそうになかった。夫も息子も自宅にはいない。ここで倒れるわけにはいかない。チャンスを逃すことになるが、心電図をとるより、発作を抑えることを選んだ。効かないかもしれないが、とりあえずベラパミルを口に含み、冷水を飲みこんだ。その瞬間、ピタッと発作は止まった。しばし、茫然とした。この止まり方は初めてだ。

 

今までで一番強い発作に、困惑した。幸い自宅だったから良かったが、これが外で起きたらまずい。これからどうなっていくのだろうか。手術をしてくれた病院は自宅から遠かったが、電話をして、すぐさま向かった。この状態を伝えなくてはいけない。

 

 病院で

病院で、術後から現在までを説明した。医師はアブレーションで焼くべきところは焼いたので、何か別の不整脈がでてきたのかもしれないし、発作時の心電図を見ないことには、何とも言えないと話した。だから、発作が起きた時に心電図をとることが重要だと。

 

もっともである。それは理解している。医師が私の話だけで診断することは無理だ。わかってはいたが、何の収穫もなく、もやもやしたまま帰宅した。何だかとても疲れた。完治のためには手術(カテーテルアブレーション)しかないから、したのに。もちろん成功率は100%でないことは承知していた。私の場合は97%の成功率だと言われていたが、残り3%に入ることに不思議はないし、覚悟もしていた。しかし、いざ、現実にそうなると、さすがにげんなりした。

 

この時、ラピスアカデミーの16タイプパーソナルカラーアナリスト養成講座を受講していて、青山まで通うことになっていたが、延期してもらった。途中でやめることは全く考えていなかった。しかし、立っていられないほどの強い発作は、私に充分な恐怖を与えたのも事実だ。アブレーション前は、私は、確実に発作性上室性頻拍だったし、発作も毎回似たような症状で、恐怖を感じるほどの強いものはなかった。しかし、今は未知だ。

 

 それでも前向きに

自分でもよくわからないが、非常に無念だったとはいえ、私は悲観したり、絶望したり、落ち込んだり、泣いたり、そんなことはなかった。むしろ、闘争心が芽生えた。「絶対、勝ってやる」それが私の心の中での口癖だった。何に勝つというのか、手術が成功しなければ治らないのに。その当時はよくわからなかったが、のちに気づいた。私は自分の恐怖心や折れそうになる心に絶対勝つと言い聞かせていたのだと思う。

 

5月30日(月)にかかりつけの循環器内科の医師に事の顛末を話しに行った。夜中に強い発作が起きた際など、今後を考えると、救急外来のある病院にかけこめる体制がほしかった。一番最初に通っていた総合病院へ戻るつもりはなかったので、かかりつけ医の出身でもある近くの大学病院を紹介してもらえないかと話した。医師も賛同してくれたが、手術をしてくれた病院から紹介状をもらって大学病院へ行くことをすすめてくれた。手術の詳細も大学病院側で把握できるだろうから。

 

6月1日(水)、私は再度、遠方である手術をしてくれた病院へ行き、紹介状をもらってきた。その際、執刀医に手術中のことについて質問した。医師は、心臓の正常回路に非常に近い所を焼くときに、一気に高周波でやらずに、少しずつレベルをあげていったというような話をした。なるほど。だから、手術の終わりの言葉が「これ以上やったらあぶないから終わろう」だったのか。本来、ガツンとやりたいところだが、危険を回避するため少しずつ進めてくれたのだろう。医学的なことはよくわからないが、そんな印象を持った。

 

帰宅してすぐ、近くの大学病院に予約した。1週間後の6月8日(水)に行くことになった。5月27日(金)に強烈な強い発作に襲われてから、2週間以内でここまで話が進んだ。上出来だ。とにかく、自分が安心できる環境を整えたかった。

 

次回へ続く。

大学病院で【発作性上室性頻拍⑭】

 

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