退院の日

2022年2月23日。退院は確か午前中だった。朝食後、荷物をまとめた。昨日、手術(カテーテルアブレーション)をしたばかりなので、病院を離れることに少々不安な気持ちはあったが、早く家に帰りたいとも思った。

 

荷物をまとめ終わった頃、叔父の命の恩人である大御所の医師が病室に来てくれた。23日は祝日だったせいもあり、診察もなく、鼠径部の傷が気になっていた私は、大先生に診てもらい、問題ないと言われ、ほっとした。

 

そして、私は聞いた。「先生、私のアブレーション、微妙だったみたいですね」と。医師は、そんなことはない、焼くべきところは、すべて焼いたから大丈夫だと言った。執刀医から詳細を聞いているはずだが、医師は、経験上、大丈夫であろうと思ったのか、はたまた、微妙なところだという思いがありつつも、私に余計な心配をさせないために、そう言ったのかはわからない。でも、97%の成功率なのだから、よほどのことがない限り大丈夫なのかもしれない。希望はある、そう思った。

 

会計が終わり、薬が処方された。焼いたばかりで、心臓は落ち着いていない状態なので、ビソプロロールフマル0.5錠を28日分処方された。3か月、発作が起きなければアブレーションは成功とみて良いとのことだった。

 

病院を出ると、まぶしいくらいの晴天だった。夫の車が止まっていた。鼠径部の痛みはまだあるので、歩き方は恐る恐るといった感じだ。ゆっくりと車に乗り込んだ。

 

終わった。3泊4日の入院生活と地獄のカテーテルアブレーションは終わったのだ。天気の良さも手伝ってか、アブレーションはなんだかんだいっても成功し、元の私に戻れるのではないか、そんなふうに思えた日だった。

 

次回へ続く。

希望はついえたか【発作性上室性頻拍⑫】

 

 

 追記

ブログを読んでくださっている皆さま。いつもありがとうございます。

 

皆様の中には、私と同じ病気でカテーテルアブレーションを受けるか否か迷っている方、カテーテルアブレーションを受ける予定の方がいるかもしれません。私のカテーテルアブレーションの経験を読んで、不安になったり、カテーテルアブレーションを受けるのをやめようなどと、思われたとしたら、私の本意ではありません。

 

私が手術の様子、その前後の詳細を記したのは、情報の1つとして、誰かの役にたてればと思ったからです。尿道カテーテル装着を失敗された話手術(カテーテルアブレーション)当日<前編>【発作性上室性頻拍⑨】、注射針をさすのに緊張して動けない看護師の話いよいよ入院【発作性上室性頻拍⑧】など、ありえないと思いませんでしたか?(笑)でも、現実にあったわけです。こんなことが起きる可能性があると分かっていれば回避することもできます。

 

アブレーションで一番痛いと思ったのが、鼠径部の痛みでした。執筆にあたり、いくつかの病院のホームページを見ましたが、鼠径部はほとんど痛みを感じないと書いている病院がありました。私は、鼠径部の痛みはどうしようもないものと思い込んでいたので医師には言わず、ひたすら我慢しましたが、この情報を知っていれば、医師に痛みを訴え、鎮痛剤なり、麻酔の追加なり、何か処置をしてもらえたかもしれないですよね?私は心臓を焼かれる痛みがどんなものかだけに気をとられていたので、カテーテルを挿入する鼠径部に痛みがあるのかさえ、事前に全く考えもしなかったのです。

 

現在は、私が必死に情報収集をしていた頃より、ホームページでカテーテルアブレーションについて詳細を記載している病院が多いことに驚きました。

 

同じカテーテルアブレーションでも、受ける人の症状や、病院によっても違ってくると思います。人の経験を聞いたり、読んだりして、不安に思ったことは医師に確認すれば、安心できることもあるのではないでしょうか。私の経験は、そんな材料として利用して頂ければと思います。

 

残念ながら、これからも、私の発作性上室性頻拍シリーズは続きます(苦笑)。今後は、カテーテルアブレーションが不成功に終わった後のこの2年、現在までを綴ります。

 

これから、アブレーションを受ける方の成功を陰ながら祈っております。成功率が高いですから、ほとんどの方は大丈夫ですよ!              

 

森 志保

 

 

 

ママのチーズケーキ