手術の時が来た

2022年2月22日(火)、朝を迎えた。いよいよ今日だ。手術(カテーテルアブレーション)は午後1時の予定だった。朝食後、コーヒーを買いに休憩室に行ったら、ドアが開かないようになっていた。昨夜のロックダウンのアナウンスを思い出した。コロナ患者が利用した可能性があり、閉鎖されたのだろう。しかたなく上階の売店でホットコーヒーを購入し、病室へ戻った。

 

コーヒーを飲もうとしたその時、看護師が入ってきた。手術の時間が早まり、午前中に行うという。午前中の手術の人は朝食を食べてはいけないのに、私は食べている。良いのだろうか。全身麻酔をするわけでないし、開胸手術でもないのだから、影響はさほどないのだろう。「今、コーヒーを飲むのは、やめたほうが良いですよね」と看護師に確認すると、「はぁー(どうだろう)」という頼りない返事だったが、どう考えても、よくないだろうと思い、買ってきたホットコーヒーを泣く泣く冷蔵庫に入れた。

 

手術は何時になるのかと聞いたが、詳細はわからないので、また来るという。何とも落ち着かない。そもそも心の準備が。いや、よく考えてみると、どうせ今日行われるのだから、1時間後であろうが、4時間後であろうが同じである。むしろ、刻々とその時が来るのを一人で待つより、突然お呼びがかかるほうが良いのかもしれない。

 

ほどなくして、看護師が来た。今から準備にかかるという。私は、急いで、今から手術が行われることになる旨、家族にLINEで伝えた。何とも慌ただしかった。

 

 尿道カテーテル装着に手こずる看護師

看護師は尿の管(尿道カテーテル)をつけるというので、私は術前の注意書きのプリントに尿の管をつける前にお手洗いに行くよう記載されていたことを思い出し、すませた。

 

看護師は、尿の管をつける作業を何度もやり直した。うまくいかないらしい。気分が悪くなってきた。しかも、管をつけるたびに腹部を強くおすのだ。私は子宮筋腫があるので、それも好ましくない。看護師に言うと、何度も謝りながら、管が正確についているか確認のため、腹部をおしているのだが、尿が袋にでてこないという。

 

当たり前だ。直前にお手洗いに行ったのだから。看護師の目の前でお手洗いに行ったのだから、直前に膀胱を空にされると困ると言ってくれれば良いのに。そもそも、注意書きもおかしいのではないか。むしろ、尿の管をつける前にお手洗いに行くのを控えるように書くべきだ。しかし、確認以前に看護師が尿の管をスムーズにつけられないことに驚いた。

 

私は、息子を緊急帝王切開で出産しているが、その際に、尿の管は実にすばやくつけられ、気づかないくらい何の苦痛もなかったことを思い出した。だから、尿の管をつけるのにこんなに手こずるとは想定外だった。何度もとったり、つけたり、私は練習台ではない。手術前なのに具合が悪くなってきた。

 

看護師は恐縮しながら、また少し時間をおいてから来ると言って、病室を出た。ほどなくして、また同じ看護師が来た。私は正直うんざりした。その時、別の看護師が来て、その看護師にあなたのコロナワクチン接種の時間だと伝えた。彼女は忘れていたと言って、あわてて出て行った。やれやれ。しかし、良かった。彼女の代わりに来た看護師は問題なくやるだろう。その看護師は私に苦痛を与えず、尿の管をつけた。ほっとした。

 

 手術室で

手術室までは歩いて行くことになっていた。中に入り、手術台に固定された。何しろ心臓を焼くのだから動いたら大変だ。叔父の命の恩人である医師が、手術室に来て、がんばってと声をかけてくれた。大先生が直々にわざわざありがたかったし、たいしたことないさという軽快な様子は私に安堵を与えた。

 

さて、いよいよだ。ただただ痛みに耐えるのは苦痛だ。この時間を少しでも有効に使おう。私は医師らの会話を一言も漏らさず聞こうと決めた。そうすることにより、私は自分の状況を正確に理解し、術後、医師の説明がよくわかるだろう。まるで、TOEICのリスニングテストが始まるかのごとく、集中した。しかし、それがいかに困難なことか早々に気づいた。医療用語が多すぎる。正確に理解するのは無理だった。

 

それに、鼠径部からカテーテルを入れているのだが、その部分が痛い。鈍痛ではない。かといって激痛でもない。しかし、到底無視できない痛みだ。(カテーテルアブレーションとは、治療用のカテーテルを足の付け根から血管を通じて心臓に挿入し、カテーテル先端から高周波電流を流して、不整脈を起こしている異常な回路を焼灼する治療である。)電流が流れる時、体がビクッとなる。なんとも不快だ。心臓を焼かれる時は、じわっと熱い。2年前の記憶で、正確さには多少欠けると思うが、痛みのレベルは鈍痛の部類だったはずだ。痛みに耐えたという記憶はない。

 

医療用語が飛び交っていても、日本語はわかるし、空気も読める。どうも、順調ではないようだ。医師らの話を聞いているうちに、もしかして、私はただの発作性上室性頻拍ではなく、何か他の病気ではないかと気になりだした。思いきって、医師に聞いた。私が発作性上室性頻拍であることは間違いないのかと。私が「先生」と声をかけると、医師はぎょっとしていたが、発作性上室性頻拍で間違いないと、はっきりと答えてくれた。ぎょっとするのも無理はないか。手術中に質問する患者など私以外にいないのだろうと思った。

 

長い、実に長い。まだ終わらないのか。医師が私の横にいて、壁の時計がちょうど見えない。しかし、私はアナウンサーという職業柄なのか、時間の感覚はつかめるほうだ。手術が始まってから、もう2時間は超えているはずだ。

 

当時、いくつかの病院のホームページで発作性上室性頻拍におけるカテーテルアブレーションの所要時間について調べていた。60分ほど、長くても120分ほどと記載されていたと記憶している。意識がはっきりとあり、痛みを感じる状況としては、それが限界のような気がする。

 

何しろ鼠径部が痛い。ごそごそカテーテルを動かす時が痛いのだ。歯科の麻酔のほうがよほど優秀だ。もう少し痛みを感じないようにできないものだろうか。それにしても、いつまで続くのか。さすがの私も肉体的にも精神的にも、かなりつらくなってきた。

 

その時だ。医師は、左側にもカテーテルを入れなくてはと言った。順調ではないことは承知していたが、心の中で言葉を失った。右側だけでも、限界なのに。両側からなんて。

 

私が、落胆した(落胆という言葉ですまされないほどだったけれど)その瞬間、医師は、両方からだと、さすがにちょっとだから、少し眠ってもらうと言った。助かった。心底ほっとした。最初から眠らせてほしかった。おでこに何かされ、ほわーっとしてきた。痛みは感じなくなり、何だか夢をみているような感じだった。

 

 悲劇の始まり

そんなに長くはない時間に思えた。私はまた、意識がはっきりと戻った。頭をのせていた枕のようなものがなくなっていた、何だか気持ちが悪く、頭を上げたかった。無意識に頭を上げてしまい、私が動いたので、医師はぎょっとしていた。そうだそうだ、絶対、動いてはいけないのだ。仕方なく我慢した。そして、私はもう一つ体の異変に気付いた。

 

手術中にこんなことがあり得るのだろうか。ありえない。いや、でも認めざるを得ない。私は一瞬パニックに陥った。状況を把握し、確信するまで少々時間が必要だった。尿の管を装着した際、あとから来た看護師も失敗したのだ。にわかに信じがたいが、それしか考えられない。

 

私は、思いきって医師に聞いた。尿の管をつけていても、尿意を感じるものかと。医師は今度はぎょっとした様子もなかった。あり得るんじゃないかと適当な返事だったが、あり得ないはずだ。横にいた看護師が心配そうに私の顔をのぞきこみ、腹痛があるかと聞いてきた。私はあると答えた。手術が終わったらすぐに処置すると言ってくれた。

 

早く手術が終わってほしい。それだけだった。鼠径部のなかなかの強い痛み、電流が体を流れる不快感、心臓を焼かれるじんわりとした痛み、それに加え、尿意を我慢する使命がかせられた。しかも、かなりの尿意である。地獄の我慢大会だ。私は1秒でも早く手術が終了することを願ってやまなかった。

 

次回へ続く。

手術(カテーテルアブレーション)当日<後編>【発作性上室性頻拍⑩】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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