いよいよ入院

2022年2月20日(日)、入院の日。病院まで夫に車で送ってもらった。コロナ禍なので、患者本人以外は病院に入れず、私は病院の入り口で降りた。病院から自宅まではかなり遠い。手術でもし、何かあっても、家族はすぐに到着できない。私が次回夫に会えるのは、退院の日、迎えに来てもらう時だ。どこか知らない所に取り残された子供のように、なんだか寂しい気持ちになった。

 

受付で手続きをすると、PCR検査へ。ここで陽性の結果がでたら、帰らなければいけない。検査の結果がわかるまで、入院する予定の部屋で待った。結果は陰性だった。ほっとしたけれど、もう手術からは逃れられない、明後日、私は確実に手術を受ける現実に100%向き合った瞬間でもあった。

 

 手術(カテーテルアブレーション)まで

翌日は、手術前に必要な検査があった。その他の時間は、ひたすら本を読んでいた。

検査が一通り終わった後、明日の手術の際の点滴の針を事前にさしておくとのことで、若い看護師が病室に入ってきた。

 

彼女は私の腕を触って、その後、一向に次のアクションがない。私は、仰向けに寝ている状態だった。もしかして、血管が見えにくいのかと私は聞いた。看護師は何も答えない。聞こえないはずはない。私は頭を起こして彼女の様子を見た。すると、彼女は下を向き、深呼吸しながら、「緊張する~」と小声でつぶやいていた。私は状況を理解した。彼女は、その太い針を私の腕にさすことに、うまくいくか否か、自信がないのだ。驚愕した。私の方が緊張する。失敗されたら、どんな痛みなのか、ものすごく腫れるのか、明日は手術なのに、ただでさえ、痛みに耐えなくてはいけないだろうに、余計な痛みなんぞ増やしたくない。

 

私は、考えた。先輩看護師を呼んでくるよう言おうかと。若かりし頃の私なら100%そうした。しかし、私は子供を持つ母親になり、若い看護師たちは、我が息子とそんなに年齢が変わらない。娘みたいな人達が一生懸命、看護師の仕事をこなしているのを見ると頭が下がるし、応援したくなる。

 

彼女が自信がなくて、できないとナースステーションに戻れば、叱責されるだろうし、トラウマになるかもしれない。いつまでたってもできないままになる。さりとて、明日手術を控える私としては実験台になるほど心のゆとりはない。はて、どうしたものか。そんなことを考えているうちに、彼女は心を決めたようで、私の腕をつかんだ。私も心の中で祈った。針はちゃんと入った。安堵した。

 

夕食が終わってしばらくたった頃だろうか、「○○棟がロックダウン」というアナウンスが流れた。おそらくコロナ患者がでたのだろう。患者以外入れない病棟なのに。幸い、私のいる病棟ではなかったが、なんとなく不安な気持ちにはなる。

 

夜、執刀医が、明日の手術の説明にきた。40代前半くらいの明るく、はきはきとした医師だった。発作性上室性頻拍にも、細かく分けると種類がある。それにより、カテーテルアブレーションの成功率も多少は違う。しかし、いずれにせよ非常に高い成功率であることに間違いない。私の場合はおそらく97%くらいの成功率のものらしかった。ちょっと厄介な場合もなくはないが、それは実際に手術してみないことにはわからない。ただ、概ね医師の話を聞いた感じでは、大きな不安はなかったと記憶している。

 

私は、事前にいくつかの病院のホームページを見たが、どの病院も発作性上室性頻拍のカテーテルアブレーションの成功率は90%台半ばから後半、ほぼ100%と記載しているものもあり、完治を期待させるものであった。

 

当たり前かもしれないけれど、なかなか眠れなかった。やはり、意識がある中で、痛みを感じる中で、心臓を焼くという未知の手術は怖い。それでも、この3年間の発作のある煩わしい日々から解放されることを考えれば、ほんの1時間かそこらの我慢なのだと思える。元の私に戻れる期待感が私を大きく包み込む。その一方で、私は、自分のうわついた気分をいましめる。97%の成功率なのだ、100%ではないのだ。残り3%に私が入らないとは言えない。成功しなかった場合、決して、必要以上に落胆しないよう自分に言い聞かせた。

 

この時は、翌日のカテーテルアブレーションが予想以上に大変なものになるとは思ってもいなかった。

 

次回へ続く。

手術(カテーテルアブレーション)当日<前編>【発作性上室性頻拍⑨】

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

 
 

 

 

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