突然の発症

忘れもしない2019年1月11日(金)。

何の変哲もない金曜日の夜だった。私は、夫と息子と一緒にリビングのソファーで、夫がレンタルビデオ店で借りてきた映画のDVDを見ていた。

 

映画が終わり、ソファーから立ち上がった瞬間、胸がドクドクとものすごい速さでビートを刻みだした。何これ。初めての感覚。何が起こっているのかわからないけれど、良くないことが起きていることはわかった。

 

胸だから心臓か。私はそれまで何一つ大きな病気はしたことがなかった。健康診断でも心臓について指摘されたことなど、もちろんない。当時46才だった。若くもないが、年老いてもいない。あわてて救急診療に行かなければならない状況ではないだろうと思った。それに、もう24時に近い時間に病院へ行くのも面倒だった。さっさと寝よう。心臓がバクバクしている中、シャワーだけ浴びて寝た。きっと明日の朝には治っている。そう思った。無知とは怖いものだ。これが、致死性の不整脈なら、生きて朝を迎えることはできなかったかもしれない。

 

 病院へ

翌朝、まだ心臓は激しいビートを刻んでいる。具合いは良くない。ずっと、この状態なのだから、かなりの疲労感があるし、全身もだるい。夫の運転する車で同じ区内の総合病院へ行った。心電図をとり終わった後、看護師さんが車椅子を持ってきてくれた。歩けるからと断ったが乗るように言われた。そんなに普通じゃないのかと思った。半日、病院にいた。とにかく待ち時間が長かった。相変わらず心臓はバクバクしている。疲労感が増し、横になりたいと思った。座っているのは結構しんどかった。

 

 不整脈

医師に呼ばれ、診察室に入ると、今の状況を説明された。医師は心房と心室の絵を描き、心臓に異常な回路があるため不整脈が起きている旨の説明をしてくれたのだが、きちんと頭に入ってこなかった。私が心臓に問題があること自体、受け入れがたい。しかも一時的なものでなく、病気であり、完治には手術(カテーテルアブレーション)が必要らしい。何もかも初めて聞くもので、混乱した。

 

私は、自身を健康で体力があると思っていた。細身の体だが、テレビ局時代も、フリーアナウンサーとして忙しくしていた時期も、同年代の女性より圧倒的に体力があると自負していた。だから、46才で心臓が悪くなったことをすんなり受け入れられなかった。

 

医師は、休み明け、不整脈の専門医の担当の日に、もう一度来て、詳しく診断してもらうよう言った。私は承諾した。

 

 発作性上室性頻拍

休み明け、再度、病院へ行った。専門医によると、私の病名は、発作性上室性頻拍であるという。簡単に言うと、発作性上室性頻拍とは、突然脈拍が早くなり、しばらく頻拍が続いたあとに急におさまる病気である。異常な電気回路ができてしまったり、先天的に余分な電気回路があったりして、その回路を電気刺激が通ることで脈が速くなる。

 

いつなん時、この発作が始まるかはわからない。治療は薬物治療か手術(カテーテルアブレーション)。薬物治療は確実に効くかはわからないし、完治はしない。薬が効いても、この先ずっと飲み続けなくてはいけない。カテーテルアブレーションとは、カテーテルという細い管を足の付け根から血管を通じて心臓に挿入し、カテーテル先端から高周波電流を流して異常な回路を焼灼し、消滅させる治療法である。成功率は非常に高く、特に私のタイプだと、90%後半の確率で完治するらしい。

 

そうは言われても、心臓を焼くなど、万が一を考えるとほいほいと決められない。しかも、意識のある中で行われる(全身麻酔の病院もある)ので、痛みがあるという。まれではあるが、合併症の危険もある。私は平均的な人より、かなりの苦痛に耐えらえる自信はあるが、息子も当時はまだ中学生だった(しかも高校受験を控えていた)こともあり、しばらくは薬物治療で様子を見ることにした。

 

気が重かった。完治する可能性が高い治療法があるのはラッキーなことではある。しかし、簡単に決断できるものではなく、今後、いつ始まるかわからない発作は生活を大いに不便なものにするだろうことは容易に想像できた。

 

アルコールは極めて高い確率で発作を誘発する。飛行機に乗る際も発作が起きる可能性がある。これから先を考えると暗澹(あんたん)たる気持ちになった。

 

そして、その後、薬の副作用に苦しめられることになる。

 

次回へ続く

薬の副作用と恐怖【発作性上室性頻拍②】

 

 

 

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