昭和40年代は、昭和35年(1960年)に池田内閣が打ち出した「国民所得倍増計画」を契機として始まった高度経済成長期と、昭和48年(1973年)とその翌年の第1次・第2次オイルショックによる経済混乱期(ただし経済成長は継続)というように認識しています。
その昭和40年代初頭の風景として私が記憶しているのは、三輪自動車や荷馬車、植林、移動販売があります。
昭和40年代初頭までは、山間部から切り出した木材を運搬するために、荷馬車が使われていたようです。ただ、高速道路の開通や道路の舗装整備などによって輸送の高速化が進み、馬を移動・輸送手段として使うことはなくなったようです。昭和40年に、馬が原木を積んだ荷車を引いて行くのを、小学校への登校途中に見かけました。また、近所の製材所では、三輪トラックを木材運搬に使っていたのですが、こちらも昭和40年代半ばまでには、四輪トラックに置き換わったように記憶しています。
また、現在の国民病ともいえる杉花粉症の原因となった、山の雑木を伐採して杉を植える植林も、昭和40年代までは盛んに行われていたようです。これも小学校への登校途中に、植林が終わったばかりの山から段々とその木が延びていくのを見ていたように記憶しています。
また、移動販売ですが、魚屋とおでん屋が来ていたのを記憶しています。
魚屋は、軽トラックの荷台に棚を作り、茨城県の魚市場で仕入れた魚を捌いて刺身にしたりして、売りに来ていました。
おでん屋は、子供を対象に、板こんにゃくに串を刺して、田楽みそをつけて売っていました。リヤカーに機材を積んで、人力で引いて移動していたと記憶しています。