鍼灸とは「気」の医学である。

 

そして、私の治療は、鍼を用いようと用いずとも、手や意識を以て「気」すなわち「エネルギー」を動かす治療である。

 

鍼灸の根本は「気」「エネルギー」「波動医学」なのだ。

 

だが、一般の方はもとより、多くの医療従事者、はては鍼灸師や鍼灸学校の教員たちまでもが、鍼灸を単なる物理的刺激による物理療法であると捉えている風潮がある。

 

腰痛には腰に鍼刺激、肩凝りには肩に鍼刺激。

はたまた電気針やら、美容鍼やら・・・。

治療というのか慰安やごまかしというのか、とにかく他の西洋医学従事者や医療関係者たちから見下される一因は間違いなくこのあたりにあろう。

(彼らは本当の鍼灸医学、エネルギー療法のすごさを知らないし、ほとんどの鍼灸師や東洋医学系を自称する医療従事者がそのことを知ろうともしない。)

 

以前、とある放射線技師の人物が、初対面であるにもかかわらず、

「なんで鍼灸の人は、筋トレとかを指導しないの」

と、馬鹿にしたように上から目線で言ってきたことがある。

彼はどうやら「痛みを取るには筋トレしないとダメ」という思考の信望者のようだ。

 

可哀相な男である。

彼はおそらくこれまできちんと治せる治療家に出会ったことがないのであろう。

気で痛みがとれるなどとは信じることができない様子だ。

(現に、となりにいた知人が、「気の治療で腰痛がその場で治った」と証言しているにもかかわらず、「はは、そんな馬鹿な」とせせら笑っていた。)

 

確かに筋トレして痛みをなくす方法もあるが、そればかりが方法ではないし、そもそも筋トレしようと痛い人は痛いし、痛すぎる人は筋トレすらできない現状もある。

(ムキムキの筋トレマン野球選手が、すぐに膝とかの故障をしているのはそうした思考の一弊害であろう。)

筋肉なくても痛くない人はたくさんおり、筋肉あっても痛い人は痛い。

筋肉なくて痛い人でも、筋緊張とったり気血流せばその場で痛みが消えることなど日常茶飯事。

すなわち、筋力低下が痛みを作っているというのは偏見でしかない。

 

この放射線技師は視野の狭い短絡的思考の持ち主にすぎず、世の中には筋トレなどしなくとも痛みが取れて治っている事例は数多くあり、エネルギー療法によって痛みがその場で取れるなどありふれた光景である。

 

まあ、この人物がこのような思考に陥ったのも、ひとえに医療業界のレベルの低さにあり、彼はレベルの低い三流鍼灸師にしかあったことがないのだろう。柔整師もしかり。

 

いいかげん、不正保険請求で利益を上げようとする「マッサージ慰安所と化した整骨院」を経営する柔整師や鍼灸師はどうにかならないものか。

 

もちろん、気とかを提唱せずとも、鍼・整体などできちんと結果を出せている凄腕の方たちもおり、困った方たちにとって存在価値は大いに高い。

私は、物理的アプローチのすべてを否定するわけではないし、むしろ治すためのきちんとした治療法に対しては敬意を表したい。

 

問題は、誤魔化し・慰安まがいの物理的刺激をのうのうと行い、搾取を続ける「自称治療家たち」の存在である。

こういう輩ほどプライドとメンツにこだわり、新たな視野を広げようともせず、他人をねたんだり貶めたりすることで憂さを晴らしている場合が多い。

(これについては、いずれ別の項で述べる。)

 

 

かたや、東洋医学を自称する者たちの中でも、口では「気」「気を動かす」と言っていて、やっている内容が伴っていない場合も多々あり、建前の理論は「東洋医学による根本治療」「気を動かす」と言っていても、あとづけで物理的刺激を与えたり、慰安要素やなんやらを用いて結果をはぐらかしているケースがよく見受けられる。

 

例えば、椎間板ヘルニアの患者がいたとする。

普段は、脈を診て「腎が」「少ない配穴で治癒力を」「接触するだけの鍼刺激」などと言っているのに、こうした患者の前では長い針を持ち出して腰あたりに深刺しをしたりする者がいる。

実際に、鍼灸学校の臨床実習において、担当教員の施術を見ていた時のことであった。

実はこの教員は、脈診を深め、施術も刺すか否か程度の刺激で気を動かすというベテラン教員であり、こうしたヘルニアの症状に対しどのような処置をするのか観察していたのだが、どういうことなのか、腰に長い針で深刺しをして、延々と動かしていた。

 

おそらくは「気を動かし操作している」というのだろうが、正直、「物理的刺激を深刺しによって行おうとしている」「筋肉を物理的刺激で緩めようとしている」ようにしかみえなかった。

 

「偉そうに言っていても、こういう症状では、結局、患部付近への局所刺激に行かざるを得ないのか」

と、少しがっかりした記憶がある。

まあ、患者にすれば、このやり方であっても治りさえすればよいのであるが、効いているようには見えなかった。せいぜい、筋肉がほぐれて一時的に血行が良くなることはあっても、ヘルニアがどこまで完治するかは微妙である。(むしろ反発によって筋緊張が高じ、治りにくくする場合がある。)

 

今となってみれば、この教員のレベル自体が、大したレベルではなかったという事がわかる。

そのあたりの鍼灸師より見識も技術もあるものの、一流とはいいがたい。

 

別に、きちんとした見立てを行えば、治りもしない局所刺激などに走らずとも、お腹・四肢・頭などの一穴を用いて、こうしたヘルニア症状を治すことは可能であるし、北辰会などの学術団体の腕利き先生方であれば日常的にそれを行っている。

 

かくいう私自身も、エネルギー療法を用いてこうした椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症といった「医者から手術するしかないと言われた」症状に対して、きちんと痛みを取り去ることができるようになっている。

 

 

例えば、

「疼痛性側弯を伴う椎間板ヘルニアの患者を、エネルギー療法によって、ほとんど1~3回ほどで疼痛性側弯をなくし、痛みを大幅に改善させた」

「足を引きずるほどの脊柱管狭窄症が、エネルギー療法による施術をして以来一度も大きな痛みを起こしていない」

「手術適応と言われた脊柱管狭窄症が、エネルギー療法を活用した頭の鍼のみで痛みが出なくなった」

など、物理的刺激を一切行わなくとも、深部にあるトラブルを癒すことが可能となっている。

 

驚かれることも多いが、別に私としては自慢するほどのことでもない。

きちんとしたアプローチをしさえすれば、人それぞれ環境の差によってスピードの違いはあれど、当然の帰結なのだ。

 

なぜ、このようなことが可能なのか。

 

それは、「気」「エネルギー」を扱う医療だからだ。

 

本来の鍼灸とは、気の医学であり、物理的療法ではない。

 

一面、鍼灸というジャンルにはトリガーポイントや局所刺激により痛みをなくす方法が存在しているが、物理的刺激、筋肉への刺激は本来のものではない。

 

むしろ、気の医学とは別物の、「現代西洋医学を基盤とした物理的鍼刺激」であるといえなくもない。

 

本来の鍼灸、気の医学とは、気の歪みを正し、陰陽を調整し、臓腑経絡に気を巡らせ、自然治癒力を引き出すためのものである。

 

北辰会方式などがその代表であろう。

 

高名な藤本蓮風先生が、数々の難病に抜群の実績をあげられているのも気の医学であるがゆえである。

 

 

機関紙『ほくと』の一冊を見るだけでも、

「難治なタイプの筋性防衛(疼痛性側弯)を伴う椎間板ヘルニアをお腹の一鍼だけで、3回ほどで側弯を戻した」

「ひどい半月板損傷を経絡経筋病と弁証し、足の一穴(太白)のみで対応し、改善させた」

「きつい下肢の急性外傷を、お腹の鍼一本で痛みを取り去った」

などの整形外科疾患に限らず、ガンやその他の難病にも成果をあげておられる。

 

ただ、こうした実績はなかなか世の中に知られることはない。

それは鍼灸業界でさえも、医療業界でさえも同様であり、

「ガンが鍼で治せるわけがない」

「一本鍼で何でも治せるものか」

「治ったと言っているが、ウソか本当かわからない」

などと怪しむ者たちがいる。

情けないことだ。

 

レベルの差があるほど、下のレベルの者は上のレベル(特に最上級にいくほど)の本当の凄さが分からない。

逆に、上のレベルの者は、たとえ流派が違っていても下のレベルの者がどの程度のことをやっているかが凡そ分かってしまうものだ。

 

例えば、「目の前の患者の症状をその場で解消できる上級者」は、「症状を改善できず何となくの慰安行為や話術で誤魔化す下級者」がどういう心持でどのようなレベルのことをしているか、したくてもできていないかを大まかに読み取ることができる。

たとえ、下級者がわずかな進歩を自分なりに見せた、あるいはそうあるかのように見せたいからと言って、「この古典が・・・」「脈が・・・」などと口を開いたとしても、上級者から見れば取るに足らないレベルであるし、逆に、「20年以上やってて、まだこの程度の本を初見で読んでるのか」「まだこんな学生に毛の生えたレベルの事をしているのか」と見透かされてしまうものだ。

 

逆に、下のレベルの者は、自身の把握できる思考や現象でしか物事の良しあしが測れないため、上級者が凄いと言ってもどう凄いかが分からない。まあ、さすがに、患者がその場で良くなっていたり、体験談書いてもらっていたら嫌でも実力差は歴然となるのだが、長年下級レベルに甘んじている者の多くは変なプライドも高い(己の低レベルぶりを人に知られたくない気持ちが強い)ため、すごいことが何となくわかっても、自身を否定したくないので見て見ぬふりをするか、粗を探しては悪口を言い自尊心を保とうとする。

 

まあ、こんな程度の自称治療家は、そのあたりにゴロゴロ存在しており、ほとんどがそうだと言ってもいい。

本物は1割、本物を目指す過程にあるのが2割、あとは多少の意識の差はあれど似たような底辺レベルである。

だが、大衆の多くは、整骨院などで、何となく気持ちよくさせてくれるこうした自称治療家を好み、治りもしないが保険を使用しまくりリピートし、院側も不正請求を公然とした権利のように行う。

そんな者たちが、客の取り合いを行っているのが今の整骨院業界だろう。

本当の意味での治す治療院とは、同じ業界なようで別ジャンルだと考えたほうがよい。

本当に治りたい人だけが、本物や本物候補を頼ればよいとおもう。

 

「気」と聞いて、何かのフィクションやたとえ話であるとしか思えない者が、数十年この業界で仕事をしている現状がある。

まあ、きちんとした施術で結果を残せるのなら別に気を認めず、気を扱わなくともよいのだが、大概は結果も残せず気の存在をバカにする者共だ。

 

今や、量子物理学の世界では、万物が振動・波動であり、エネルギーすなわち気というものの存在があってのことなのは科学的にも説明されているというのに、閉塞的な日本の大衆と医療従事者のほとんどはそれを知ろうともしない。

 

世の中インチキや詐欺師もいるため、簡単に何でも信用してしまうのもどうかと思うが。

 

私のエネルギー療法は、鍼一本すらも用いず、患部もしくは患部とは別の場所に手を軽く触れるだけ、もしくは手を触れずとも離れた場所からでも治療することができる。

 

しかも、痛み系の症状であれば、ほとんどの場合、その場で効果が実感できるし、痛みが一回で消えてしまうなんてことは日常茶飯事だ。

きついものであっても翌日や数回施術を行っていくと何らかの効果が見えてくる場合がほとんどだ。

 

 

 

 

 

前述した北辰会動画内の公開臨床では、男性の左足の痛みに対し、頭(百会右)に鍼を施し、痛みを改善させているシーン(21:47~)があったが、これは物理療法ではない「気の医学」だからこそ可能なわけだ。

 

かたや、上記の私のエネルギー療法の動画でも、女性の右アキレス腱の痛みに対し、頭(臓腑の共鳴点)に鍼を施し、その場で痛みゼロにしている

方法論は違えども、気・エネルギーを動かすことでこうした治療が可能になるのだ。

(私の場合、頭に鍼を用いずとも、手で体のどこかに触れるだけ、あるいは離れた場所から意識だけで痛みを取ることができる。)

 

 

北辰会の治療であっても、その場で変化がわかることはよくあるだろうが、難治なものであれば何回か通ってだんだんと良くなっていくケースが多いように思える。

鍼を通じて気の流れを整え、気のゆがみを正すべく、体内の治癒力を最大限に引き出すわけだ。

 

私のエネルギー療法は、空間やその先のエネルギーを流し込むという方法だが、北辰会の在り方は鍼を通じて患者の気の調整を行うことに主眼を置いているため、同じ気を主題とした医学でも性質が異なる。

 

ただ、気の動きにより治癒力を引き出そうとするのは同じである。

もちろん、術者のレベルによって効果は大きく変わるだろうし、治癒するスピードも上級者であるほど早い。

 

私は自身がある一定レベル水準を超えたと感じ取れた時から、他者との競争・比較をすることを止めた。

己を高めて楽しんで追及することに力を注ぎたいからで、もっと言えば低レベルな人たちの動向などどうでもよく興味もないからだ。

 

ただ、現状の自身の立ち位置を俯瞰で見る際に、指標として北辰会をはじめとする他流の凄腕の先生方を置き、どうしていくべきかを考えることがある。

それは競争というより、自身を高めるための客観的視点でしかない。

この視点は、技術的な面もそうだが、精神面や生き方、ライフスタイルをも包括したものだ。マネするとかではなく、あくまで自身が在りたいようにいるための指標なのだ。インスピレーションがわいたり、新しい創意工夫の糧になることもある。書籍を紐解くこともあり、教えを請うたり、映像を見たり、様々であるが、こうした客観的視点は独りよがりになりがちな治療家という立場にとって大切な気がしている。

人に振り回されたり、人の影響を受けすぎたり、人の意見に押し流されたりするのではない、あくまでも自身がより良い自身でいられるための指標である。

 

私のエネルギー療法の場合、触るだけなのに、狙って確実にその場で変化を付けられるため、患者さんの驚きは相当なものである。

さらに、「翌日にすごく軽くなった」という声もよく聞く。

 

エネルギー療法によって、脊柱管狭窄症を治したり、喘息・パニック障害・痛みの数々を、ほとんど触れるだけの施術でよくしたりすることができている。

 

万物は気で構成され、エネルギーであるから可能なのだ。

 

私が鍼を用いるにしても、エネルギーを活用した独特なものになる。

患部とは異なる頭などへの鍼1~数本で、エネルギーを通す。すなわち気を巡らせる。

 

ただ、鍼を用いなくとも治療はできる。

 

「無刀」

「無鍼」

 

である。

 

↓井上雄彦氏の漫画「バガボンド」のワンシーンを引用。

 

 

エネルギー療法は、天地自然、空間・・・もっと先のエネルギーをわが身を媒介として流すものであり、鍼は気を流すための大変便利な道具であるが、必ずしもそれがないとだめなわけではなく、手を用いて、あるいは意識を以てエネルギーを流せばよいのである。

 

少なくとも私にとっては。

 

そういう意味では、私が行っている治療は、純粋な東洋医学・伝統鍼灸医学ではない。

 

北辰会のような、中医学をベースとして日本古来の伝統を受け継ぎ、さらに昇華させていくような「伝統鍼灸を追及し発展させていく姿勢」を主眼とはしていない。

 

鍼を用いずして、鍼0本で気を巡らし、その場で痛みを取ったり症状を改善させたりする方法は、異端ともいえるかもしれない。

 

だが、気の医学を追及していることに変わりはない。

 

繰り返すが、鍼灸の本質は、決して物理療法ではなく、気を通じさせることにある。

 

鍼を通じて、心身の調和を図り、ダイナミックに気を動かしていくのが伝統鍼灸の醍醐味であろう。

 

生体の気の動きを感じ、最小限のきっかけで気を集めたり散らしたりすることができる。

 

そこには、私の言う、「空間の気を流す」「宇宙のエネルギーを注ぐ」という概念はないのかもしれないが、術者が理解していようがしていまいが、優れた治療家ほど実は気・エネルギーの出入りが術者の体を通じて起こっているようだ。

 

多かれ少なかれはあれど、効果を出せる治療家ほど、エネルギーの量(良いエネルギーを入れ、悪いエネルギーを出す)は大きく、効果が出せていない者ほどその量は少ないか出ていないと、私のエネルギー療法における恩師はおっしゃる。

 

これはその恩師が実際に、エネルギーの出入りが見える人に絵を描いてもらい、確認した事実だ。

 

「気を出し入れして治療するなんて」

と、怪しげな印象を訴える治療家もいるだろうが、実はそうした方々も知らぬ間にエネルギーの出し入れが行われているとすれば、鍼を用いようが、用いまいが、気の医学の追及をすることに優劣はないような気がする。

 

伝統医学の膨大な臨床例から導き出されたエッセンスを尊重し、それを切磋琢磨して吸収し発展させていくことはたいへん素晴らしいし、そうした医学がどんどん世の中に浸透してほしいと思っているが、ただそれだけが気の医学・根本改善のための医学であると視野を狭く持たないでいただきたい。

 

北辰会の「弁証論治のための生体を捉える網」は様々に用意されており、いかなる難病にさえも東洋医学的解析ができるように構築されている。

 

難病治療が可能なのはそのためで、これほどまでに学・術がきちんと理論化され整備され学習システムとして「名人に限りなく近い鍼医師の育成」が進められている団体は類を見ない。

 

 

 

ただ、伝統医学をベースに構築されたシステムに基づくのみが、網の全てではないともいえる。

 

現に、エネルギー療法では、東洋医学的視点を大いに取り入れながらも、脳・血管・神経・内臓・骨格などの異常をエネルギー的反応で読み取り、改善させることができる。

その検査が、どれだけ深く、どれだけ明確に原因を浮き上がらせられるかによって、効果も変わっていくが、的確な検査と術があれば劇的な改善をもたらすことができる。

今後、どれだけそのあたりを深化させていけるかがカギとなるが、大いなる可能性を無限に秘めている療法なのだ。

 

離れたところから触れずとも、相手を治療することさえ可能であるし、即効性が極めて高いうえに、根本原因をそれこそ感情レベル、潜在的に押し込めた感情にまでアクセスしうることができる。

 

試行錯誤の途上であるが、体内に蓄積された毒素の浄化も可能であり、これまでなかなか改善しづらかった向精神薬などのクスリの多剤処方による副作用漬けの者に対して、どうにかできる可能性がある。

菌やウイルス、有害な重金属なども同様である。

 

東洋医学でいえば、オケツ、湿痰、外邪などの病理産物に該当するかもしれないが、これをエネルギーでほとんど瞬時に除去できるようになれば、見えてくる世界がまた変わってくるだろう。

 

これもまた、私が今念頭に置いている課題であるが、近いうちに、このあたりもクリアしていきたい。