妄想鍛練小説 -3ページ目

秋蜩


 秋蜩が泣き始めた夏の晩であった。夕闇の公園。切れかけた白熱灯だけが公園のベンチを照らしている。そこに一人、昔の私がうなだれて座っていた。夕方葬儀が終わった後走って、いつも行く人気のないこの公園にきた。どれくらい泣いただろうか。こんなに泣いたことは初めてだった。といってもまだ人生を10年しか生きていない自分にとって、これからもこんなに泣くことがいくつあるのかなんて想像できなかったし、するのであれば生きていたくないとさえ、幼心に思ったのだった。

 母が死んだ。交通事故だった。全く予想しない事態。現実感の湧かない現実。ただただ悲しくて、悔しくて、恨めしくて、何に対してそうなのかもわからない。そんな自分が惨めでしょうがなかった。どうすればいいのか。どうしたらいいのか。自分は何なのか……。

9時を過ぎた頃だろうか。そろそろ帰らなければと、めちゃくちゃになった思考の片隅に思い滲んだころ、ふと後ろに人の気配があることに気がついた。てっきり父が迎えに来たのだろうと思っていた私は振り返ることもなくじっとしていた。後ろの人影はゆっくりと私の隣に腰かけると細い、か弱い指で私の頭を撫でた。その感触が父ではないことを感じ、慌てて隣の人物を見上げる。切れかけた白熱灯に照らされたその顔は、見たことのない、女性だった。60代半ばだろうか。少し疲れたような表情の女性はしかし、慈愛に満ちた表情で私の顔をまっすぐに見つめ、撫で続けてくれる。なぜその女性がそうしてくれるのか、どうしてそんな表情をしているのか、私にはまったくわからなかったが、なぜかこの人には全て見透かされているような、何をしても勝てないような気だけがした。死んでしまった母のようなその撫で方に、疲れ切っていたのであろう、私は深く深く眠りについていた。

翌日の朝、自分の布団で目覚めた私は、父から昨日のことをこってりと怒られた。父によると深夜、ベンチで寝ている私を家まで運んでくれたのは父だという。昨日の公園の女性のことを聞いても父は全く知らないとのことであった。



痛みで夢から目が覚める。息が苦しい。末期がんでの闘病生活も1年。あと1週間も持たないであろう。自分の体だ。残念ながら自分が一番よくわかっていた。

懐かしい感覚が頭にある。撫でられる感覚。ゆっくり左から右へ髪の毛を梳くように。うっすらと目を開ける。目の前には、少年時代、ベンチで頭をなでてくれた女性であり、そして妻でもある顔があった。同じ表情をしている。

「そうか、おまえだったか。気付かなかったなぁ。」

 妻は不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだろう。意識が遠のく。名前が呼ばれる。慌ただしくなる病室。もっと早くに気付いていればなぁ。妻にはあちらでゆっくりと話をしてやろう。撫でられる感覚だけが私の頭を覆っていた。秋蜩が泣き始めた夏の晩であった。




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