大阪から路線バスを乗り継ぎ、2022年6月に金沢駅(石川県金沢市)に到達しました。
今回はその続き。金沢駅前から富山駅前(富山県富山市)までのバス乗継旅、第一話です。
・大阪をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]
・前回のお話(寺井中央⇒金沢駅)はこちら ⇒ [リンク]
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妻と2人で北陸旅行。2日目は金沢から高岡へ移動します。
朝10時20分、金沢駅前のホテルを出発。
もてなしドームの中を通り抜けて駅西口へ向かいます。
これから乗るのは加越能バスの南砺金沢線。南砺市の福光、城端を経由して井波に至る路線です。加越能バスのウェブサイトによると、バスは金沢駅西口発とのこと。
ありゃりゃ、西口バスのりば案内に南砺金沢線が載ってませんよ。
西口の円形バスのりばには加越能バスが一台停まっています。これが井波行きになると思われますので、のりばは1番から8番までのどこかにあるはず。
8番から7番、6番、5番…
と順に見ていくと2番に南砺金沢線の文字を見つけました。裏メニュー的な扱いですね(笑)。
のりばには10人を超える列ができています。これは富山行きの高速バスに乗る人の行列でしょう。金沢と富山を結ぶ高速バスは1時間に一本の頻度で運行しています。運賃は1200円。鉄道と比べると新幹線どころか鈍行より安く、両都市の市内中心部を直結している便利さもあって、人気があるようです。
10時30分発の高速バスは香林坊か武蔵ヶ辻あたりで渋滞に遭ったのか、遅れてやってきました。
私たちが乗る井波行き(上の写真)は高速バスの発車を待って2番のりばに入ります。乗客は8人。城端駅で白川郷行き世界遺産バスに接続していて、乗り換える人は金沢駅発車時に申告することになっています。8人中3人が乗り換えるようです。
2023年8月18日(金)
金沢駅西口 10:35
↓ 加越能バス
↓ 南砺金沢線
↓ 井波行き
↓ 870円
瑞泉寺口交通広場 11:54
定刻より少し遅れて発車したバスは駅を出て北上し、駅の周囲を時計回りにまわって駅東口の堀川町交差点へ。ここから東大通りを走ります。
3kmほど進んだ住宅街では道路の上にネットが貼ってあります。すぐ横が金沢星稜大学野球場なので、ボールが飛んでくるのでしょう。野球場のネットでは高さが足りなかったんですかね。
金沢星稜大学前からは山側幹線を走ります。
一瞬、高速道路に入ったのかと思いドキドキしました。私のバス乗り継ぎ旅は高速道路を走行する区間は乗らないことにしてますので(笑)。
昨日、ホワイト餃子を食べた若松を経由し、バスは山道に入っていきます。
この道は県道金沢井波線。加賀藩主が参勤交代のときに通ったことから「殿さま街道」とも呼ばれているそうです。途中、金沢大学角間キャンパスの中を通り抜け、医王ダム(上の写真)のそばを通ります。
峠を越えると富山県です。TV番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」でも出演者の方々がよく言ってますが、県境を越える路線バスは貴重ですね。金沢-福光間にはかつて国鉄バス(JRバス)名金線という路線がありましたが、この峠とは別のルートで県境を越えていました。
この峠は二俣越、朴坂峠などと呼ばれ、源平盛衰記にもその名が見えるくらい古い道です。
峠の坂道を下ると福光の町が見えてきました。野球の木製バットの生産地だそうです。
福光駅では数名の下車があります。
駅前には蒸気機関車の動輪が保存されています。
バスは福光駅を出て国道304号を南下します。約10分で城端駅に到着しました。
後ろから市営バスや世界遺産バスが来て、このバスとうまく接続していることがわかります。
城端駅では我々を残し全員が降りました。
城端駅前バス停の標識の中に「富山駅前行き」の文字を見つけました。井波、高岡を経由しなくてもここから一本で富山に行けるのかと思いましたが、調べてみるとこれは高速バスのようです。
ここで見ておくべきものといえば駅舎でしょう。開業当時からの駅舎を使っているそうです。城端線の前身である中越鉄道が開業したのは北陸本線よりも早い1897年なので、相当古いものですね。このあたりは豊かな穀倉地帯ですから、農作物を伏木港まで運ぶための鉄道が早い時期に建設されました。
貸切状態のバスは井波へ。
城端から井波までは砺波平野の南端を走ります。このあたりは扇状地の上に散居村が形成されていて、防風林で囲まれた家屋には黒くて立派な瓦屋根が葺いてあります。
井波まで行かずに瑞泉寺口交通広場で下車します。すぐそばに観光案内所があると運転士さんが教えてくださいました。
さきほど通ってきた福光は木製バットの町でしたが、ここ井波は木彫刻職人の町。交通広場では木彫刻のモニュメントが立ち、来訪者を迎えてくれます。
(訪問日2023/8/18)