【バス乗継旅】福井駅前から小松駅前まで 3 | バスと献血のたび

バスと献血のたび

大阪からバスを乗り継いで遠くまで行きたいです。
献血の記録も載せていきます。

大阪から路線バスを乗り継ぎ、2019年10月に福井駅前に達しました。

今回はその続き。福井駅前から小松駅前までのバス乗継旅、第三話です。

・大阪をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]  

・前回のお話(丸岡城⇒あわら湯のまち駅)はこちら ⇒ [リンク]

~~~~~~~~~~~~~~~

 

えちぜん鉄道(旧京福電鉄)のあわら湯のまち駅に来ています。

福井市内からの電車が到着し、乗客がぞろぞろと降りてきました。それとタイミングを合わせ、東尋坊行きの京福バスが駅舎正面に停車。電車から降りてきた人の半数以上がこのバスに乗り換え、バスはすぐに発車して行きます。京阪神の私鉄みたいな見事な接続だな(そもそも、えちぜん鉄道の前身である京福電鉄は京都の会社ですが)と感心して見ていたら、駅周辺に残ったのは私だけになってしまいました。

 

私が次に乗るバスはあわら市のコミュニティバスです。

バス停は駅正面ではなく、駅前広場の東のはずれにあります。バス停の標識がたくさん立ってますね。京福バス以外は駅舎正面に停めさせてもらえないんでしょうか。

 

そんなバス停が林立する中、我が「あわら市コミュニティバス」の標識は一番はずれに立っていました。

 

2021年4月3日(土)

あわら湯のまち駅 14:00

↓ あわら市 あわらぐるっとバス

↓ JR芦原温泉駅行き 200円

吉崎別院前駐車場 14:28

 

このバスは、えちぜん鉄道あわら湯の町駅から市北部の各観光地を経由してJR芦原温泉駅に至る観光路線です。この旅の準備をしているとき(2021年3月)に市役所のウェブサイトを見たら

「2020年(令和2年)4月4日(土曜日)から2021年(令和3年)3月28日(日曜日)までの土曜、日曜、祝日運行 」

と記載されていました。

「3月いっぱいで運行されなくなるのかも」

と心配になって市役所に電話して確認すると、

「すみません、役所なんでこういう書き方をしてるんですが、令和3年度も同じダイヤで運行します」

と教えていただき、一安心(笑)。

 

バスの車体には市内の観光地が描かれています。さきほど訪ねた足湯もありますね。乗客は私だけです。運転士さんに『右側の景色がいいですよ』と教えていただき、言われた通り右側に席を取ります。

 

バスは定刻に発車。駅から北上して芦原温泉の温泉街を通り抜けます。

日帰り温泉施設や旅館が並んでますね。大江戸温泉物語や湯快リゾートがあるところが「いかにも」という感じ。どんな業界も寡占化、チェーン店化が進んでいますが、アフターコロナの世界でもまた

「こんな業態がチェーン展開するのか?」

という事例が出てくるのかもしれません。

温泉街を抜けたら三国ボートレース場だと思ってたのですが、バス道はもうちょっと東を通るようです。

 

国道305号を走ります。「きららの丘」というバス停に停車。乗降はありません。

ここは農産物直売のお店ですね。駐車場はほどほどに埋まっています。遠くから見ただけですが、果物に人気があるみたいです。

 

妻「果物ってスイカ?」

しげたか「えぇーっ!なぜバレたッ(笑)!」

ま、スイカはまだ早いですけどね。

 

あわら病院を過ぎると右手に北潟湖が見えてきました。北潟湖は汽水湖で、石川県の塩屋で日本海につながっています。

 

北潟東という交差点で右折し、湖に架かる橋(日の出橋)を渡り、北潟湖畔公園口に停車。上の写真はアイリスブリッジと呼ばれる橋で、湖に突き出た2つの半島を結んでいます。

 

バスは再び日の出橋を渡り、国道305号を走ります。対岸の桜がとてもきれいです。

 

対岸は菖蒲園と大学だそうです。

 

一年で一番良い時期に来たかもしれませんね。

 

駅を出て28分。バスは定刻ピッタリに吉崎別院前駐車場に到着しました。私が降りたあと、バスは乗客ゼロでJR芦原温泉駅へ向かって走っていきました。

 

吉崎です。北潟湖の河口ちょっと手前に位置する町。

室町時代のこと、比叡山から逃れて来た蓮如上人がここに坊舎「吉崎御坊」を建立しました。それから浄土真宗の拠点として寺城を中心に寺内町として発展してきました。

 

吉崎で面白いのは、町の中を県境が通っていることです。坊舎を建立した場所が越前と加賀の国境近くだったので、寺内町の中を国境が通ってしまい。それが現在の福井県と石川県の県境になっています。

駐車場のすぐそばにあるのは本願寺吉崎別院です。正面入口の門は念力門と呼ばれていて、これは豊臣秀吉が京都の西本願寺に寄進したものなんだそうです。この門が吉崎の地にやって来たのは1949年のこと(昭和じゃないですか!)。西本願寺から百余名の信徒によって荷車で運ばれてきました。

 

本願寺吉崎別院のそばには「吉崎御坊 願慶寺」があります。こちらも吉崎御坊を名乗ってるんですね。

お寺に至る坂の入口に看板が設置されていて

「御坊とは⇒本願寺直轄の寺⇒願慶寺」

とか

「インターネット・有名辞書などの(中略)はほとんど間違いです」

という文字が見えます。

「ウチが本家本元!」

というアピールがすごいです!

ちなみに、その隣には東本願寺吉崎別院があります。

 

県境を見に行きましょう。

「吉崎御坊 吉崎寺」というお寺(ここも吉崎御坊)があり、その裏あたりが県境のようです。

 

近づいて見ると…

ちょうど県境にあたる位置に

「県境の館」

という施設があるではないですか!

玄関前の道路にアスファルト舗装の区切り目が見えますが、これが県境ですね。跨いで写真撮影!

 

館内にも県境が明示されていて、裏の湖畔の公園まで続いています

館内の福井県側に人(職員さん?)がいらっしゃったので、ソーシャルディスタンスを確保してしばし談笑。秋には館の前で綱引きをするそうです。

 

建物の裏は公園になっていて、北潟湖がきれいに見えますよ。
蓮如上人は北潟湖の眺めと浄土のイメージを重ねていたのかもしれません。

 

そろそろ次のバスの時間です。バス停は蓮如上人記念館の敷地内だそうで、その記念館なら先ほど見ました。

蓮如上人記念館に戻る途中、浄土真宗親鸞会吉崎御坊というのを見つけました。この町には、はたしていくつの吉崎御坊があるのでしょうか。

 
 

(訪問日2021/4/3)

 

 

【続く】

 

--------------------

【各テーマの目次はこちら】

■バス乗り継ぎ旅  

■献血  

■西国巡礼  

■食べ歩き  

■ブログでハングル  

■大阪の名所  

■市章クイズ 

■図書館、行けるかな

■雑記 

--------------------