路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。
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27番札所、書寫山圓教寺(書写山円教寺)にやってきました。天台宗の別格本山で、西の比叡山とも呼ばれる修行の寺です。標高371メートルの書写山の山上にあります。
圓教寺は性空上人が966年に創建しました。寺号は花山法皇から恩賜されたもの。法皇はここに二度行幸され、六根清浄の悟りを得た上人の教えを受けたと伝わっています。
この大きな寺院の中で西国札所にあたるのは中谷にある摩尼殿。如意輪観世音菩薩が右手に持っている如意宝珠を梵語でマニといい、摩尼殿の名はそれに由来します。豪壮な舞台造りですね。
旧摩尼殿は1921年に焼失。現在の建物は1933年に再建されたものです。
摩尼殿の本尊は六臂如意輪観世音菩薩。桜の霊樹に天人が礼拝しているところを性空上人が見て、その木に観世音菩薩像を刻んだと伝わっています。その観音像は1492年に焼失。現在の本尊は大正時代に彫られたものだとか。
ちなみにロープウェイが定期点検で運休する期間は山麓の書写駅に臨時納経所が開設されるのだそうです。
札所にお参りした後は西谷へ。
杉の古木に囲まれた道を歩くと涼しくて気持ちいいです。
西谷には三之堂(みつのどう)と称される巨大な3つの建物があります。白洲を囲んでコの字に配置されていて、左が常行堂、右が大講堂、正面が食堂です。これらは修行道場としての圓教寺の中心と位置付けられています。ここはまた、映画「ラストサムライ」のロケ地としても知られていて、多くの人が記念写真を撮っています。
左の大講堂は圓教寺の本堂にあたります。本尊は釈迦三尊。
正面の食堂は長さ約40メートルの総2階建て。現在、1階は写経道場になっています。
大講堂と食堂の間から奥へ進むと奥の院です。
ここも建物がコの字に配置されています。奥が開山堂(上の写真)、左が護法堂拝殿、右が護法堂と不動堂です。
護法堂拝殿は弁慶の学問所と呼ばれています。弁慶は7歳から10年間、この山で修業したそうです。そのときの勉強机は現存していて、食堂で展示されていますよ。
護法堂は乙天社と若天社からなります。上の写真で右が乙天社、左が若天社です。性空上人が修行しているときに傍らで上人に使えていた乙天護法童子と若天護法童子を祀っています。乙天は不動明王の化身で、若天は毘沙門天の化身といわれています。上人は人の身でありながら二天を従えていたわけです。
上人は10歳のころから98歳で亡くなるまで一日も休まず法華経を読まれたと伝わっています。そんな上人の法力の凄さを「人でありながら二天を従える」という形で表しているのだと思います。
開山堂と護法堂の間から奥へ進むと、和泉式部の歌塚と伝わる石塔が立っています。なんでも兵庫県で最古の石造品だとか。
ここから山を下りる主な道は3つ。書写に下りる東坂と西坂、刀出に下りる刀出坂です。
今回はあまり下調べせずに来たので、登って来た東坂に戻ることにします。
(訪問日 2020/9/23)
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