大阪から路線バスを乗り継ぎ、2014年8月に松山駅に達しました。
今回はその続き。松山駅から高知県庁前までのバス乗継旅、第一話です。
・大阪をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]
・前回のお話(新居浜駅前→JR松山駅前)はこちら ⇒ [リンク]
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JR予讃線の松山駅です。
四国最大の都市、中四国でも広島、岡山に次ぐ大都市の玄関口にしては小さな駅です。
駅舎の三角屋根は初代松山駅や旧制松山中学をイメージしたレトロなもので、小説坊ちゃんの街を体感してもらおうということなのでしょう。ちなみに松山駅が開業したのは1927年。昭和になってからなんです。小説坊ちゃんの発行の約20年後になります。
駅前で子規の句碑がお出迎え。
春や昔 十五万石の城下哉
駅前には伊予鉄バスや伊予鉄市内電車が頻繁に出入りしています。上の写真には空港リムジンバスが写っていますね。伊予鉄のリムジンバスは空港行き(飛行機の絵が描かれている)と観光港行き(高速船の絵と石崎汽船のロゴが描かれている)があるので注意が必要です。
一方、わたしがこれから乗るのはジェイアール四国バスです。駅舎を出て左手に乗り場があります。
上の写真に、いろんな行き先がかかれた看板が見えますよね。そのうち左の2つ、
久万
落出
というマイナーな地名が、これから向かうところです。
2018年10月18(木)
松山 10:30
↓ ジェイアール四国バス 久万高原線
↓ 久万高原行き 1360円
久万高原 11:40
この路線はかつての松山高知急行線。高知自動車道が開通するまで、松山と高知とを結ぶ公共交通機関はこの路線でした。高速道路開通後、バス路線は落出(沿線の愛媛県側最南端の村、旧柳谷村の中心)までとなり、2017年には久万高原以南も廃止となりました。落出まで走っていたころは、落出で黒岩観光のバスが接続していて、佐川までバス路線がつながっていました。いまは黒岩観光の路線も区間を縮小し、久万高原と森(県境の高知県側最初の村、旧仁淀村の中心)の間はコミュニティバスに乗り継ぐことになります。
このバスの10分前に高速バスの高知行きが発車して行きました。高速バスが高知に着くのは13時ごろ、一方わたしのバス乗り継ぎだと高知には17時ごろの到着予定です。
乗客は4名。大街道まで路面電車と並走します。
駅前の道をまっすぐ進むとお堀にぶつかります。そこを右折。
右側にお堀、左に路面電車を見ながら進みます。松山らしい景観だなと思います。
やがて県庁前へ。裏には城山がそびえ立っています。
県庁や三越のある一番町を東へ進み、一番町一丁目を右折。飲み屋の立ち並ぶ通りをゆっくり進みます。この通りと大街道に挟まれた飲食街は北京町とよばれています。テレビなどで神戸の南京町が出てくると、わたしはこの北京町を連想してしまうことがあるんです。ちなみに読みは「きたきょうまち」です。ペキンとは関係ありません(笑)
中央に小川が流れ風情のある中の川通りを少し走って河原町を左折。土佐街道(旧33号線)です。
立花橋、立花駅前を経て天山までは道幅が狭く、それなのに交通量が多くてバスの運行が遅れだしました。
天山交差点からは国道33号の広い道になりますが、松山インターまでは交通量が多く、バスはますます遅れます。天山橋を渡るとき、右手に伊丹十三記念館が見えました。
伊丹十三は高校時代に松山に住んだことがあり、愛媛では映画だけではなく一六タルトのCMの人としても知られています。
さらに南下すると椿神社の参道入口です。
愛媛県と言う県名は、椿神社の祭神
愛比売命(えひめのみこと)
から名づけられています。神様の名前を県名にしているのは愛媛だけじゃないでしょうか。
松山自動車道の高架をくぐり森松交差点からは旧道を走ります。
森松本町バス停の場所には伊予鉄の森松営業所もあります。
この営業所は伊予鉄森松駅の跡地です。
森松駅は横河原線立花駅から分岐していた森松線の終点。鉄道は1965年に廃止されたそうですが、現在このあたりは宅地化が進んだり、高速道路が開通したりで渋滞が頻繁に起きています。バスの便数は多いのですが、道が混んでいて昼間でも定時運行が難しくなっているようです。実際、このバスも遅れています。鉄道復活はお金がかかりそうなので、バス専用レーンやBRT導入などを考えてもいいんじゃないかと思いました。
歴史的価値のありそうなトラス橋ですよ。
砥部町に入ると
「がんばれ愛媛FC」
の幟が目立ってきました。愛媛FCのホームスタジアムは沿線の県運動公園の中にあります。
砥部町は焼き物の町。うどんの鉢によく使われていて親しみがあります。
砥部町の中心部で驚いたのは、道路の中央分離帯や公共施設に砥部焼の作品が配置されていることです
!!
こんなところに置いたら割れるよ~。
砥部町の役場前を過ぎると峠道になります。三坂峠といいます。種田山頭火が
秋風あるいてもあるいても
という句を詠んだところ。
昔から土佐街道最大の難所といわれている三坂。現代の国道にはループ区間があるくらい険しい峠道です。塩ヶ森バス停からは道後平野がよく見えました。
塩ヶ森の次は大平。ここでバスは右折しました。これは予想外!曲がった先は三坂道路。地域高規格道路です。後で調べたところ、2017年にこれまでの峠道から三坂道路経由にバスのルートが変更されていました。
この道が高速道路かどうかなんですが、私は先日、このバス乗り継ぎ旅での高速道路の定義を
「『高速道路ナンバリング路線図に載っている道路』と『都市高速道路』を高速道路とする」
と決めました。調べてみますと対象の路線に含まれていないようです。セーフ!
実際に道路を見ていますと、どう見ても高速道路なので、モヤモヤは残ります(笑)。
このバスの車両ですが、座席にシートベルトはありません。シートベルトのない座席を見ながら
「ここは高速道路じゃない」
と自分に言い聞かせていたら長いトンネルに入りました。
三坂道路の長いトンネルを抜けると久万高原町です。
町内を流れる久万川は仁淀川水系で土佐湾に注ぎます。伊予と土佐の国境が瀬戸内海側と太平洋側の分水嶺になっているようにイメージしてしまいがちですが、このあたりは愛媛県なのにもう太平洋側なんですね。
終点の久万高原には10分遅れで到着しました。
驚くべきは、松山から乗った4人が全員終点まで乗っていたことです。
終点はかつての自動車駅を観光拠点にリノベーションした施設になっています。
大きな待合室と売店があり、よく売れています。
乗ってきたバスの運転士さんも野菜を買って折り返していきました。
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