本日の広島原爆の日でアメリカの著名な

反戦フォーク歌手のピート・シーガー

とジョーン・バエズと亡き父のことをまた

想いました。

両親が1967年に広島で

開催されたジョーン・バエズの

コンサートに出かけたことが

ありました。

ピート・シーガーのお陰で

両親はジョーン・バエズに

会えたようです。

亡き父が残していたピート・シーガー

のパンフレットで1986年8月5日

に広島・県民文化センター・ホール

でコンサートを開いたことを

知りました。

ノーモア・ヒロシマ・コンサート実行委員会

が主催だったようです。

父は松山でピートに再会し、彼の家族

とも会ったようです。

色々な写真が残っていました。

昨年のオバマ大統領の就任式

でピート・シーガーが歌って

いました。

核廃絶を掲げるオバマ大統領

が誕生するなどアメリカ

が変化しているようです。

前にブログで話題にしましたが

Pete Seeger のメッセージなど

の抜粋を転載します。

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アメリカ・フォークの父と言われる
ピート・シーガー(Pete Seeger)の1986年の
パンフレット・メッセージ抜粋を紹介したい
と思います。

亡き父がこの日本でのコンサートの
パンフレットを残していました。



シギーのブログ-pete

もうひとつのアメリカ


今の話題のGMの会社名が述べていました。

「日本の皆さんは、アメリカと聞くと、
ゼネラル・モータースやレーガン政府・
ペンタゴン(米国国防省)を思い浮かべるでしょう。

けれども私たちが皆さんに伝えたいのは、
もう一つのアメリカです。------自然を
愛し、人を愛し、そして人間らしい生活を
しようとする人たち。-------

ネイティブ・アメリカン(インディアン)、白人、
黒人、スペイン系など様々な民族が
おり、これらは統合されたものになって
いません。------

それらを統合するには、自分たちの
心を合わせて、自然を愛し、
人を愛し、人間らしいもうひとつの
アメリカを広げていくことで、
自分たちが今、行っている
運動を続けることが重要な
ことです。------

私は人々の心に訴えかけて
いくことを歌でやっています。」

ベトナム戦争の反戦、労働運動、環境問題
のアピールを長年やってきた
フォーク歌手、作曲家の言葉です。




有名な「花はどこへ行った」、「勝利を我らに」
の作曲(共作、編曲)をしました。

反戦歌などの経歴で長年にわたり
アメリカのメジャーなマスコミ
からボイコットされていたようです。

フォークの女王と呼ばれるジョーン・バエズ
(Joan Baez)やボブ・ディラン、Peter, Paul and Mary
ブルース・スプリングスティーンにも影響
を与えた人です。


父からサインと写真を貼り付けた色紙
を父が亡くなる数年前に送って
きてくれました。


(クリックで拡大)

1967年10月14日


ピート・シーガーと父


シギーのブログ-pete2




1967年1月17日


ジョーン・バエズ、ミミ・バエズと両親


シギーのブログ-joan




1986年の時に松山の旅館
でピートがバンジョを弾いて
歌っている写真です。


シギーのブログ-Pete



父も持っていたハーモニカでPeteと

彼の家族の方と一緒に演奏を

楽しんだようです。