老父は、いったいいつまで、
病院のベッドで仰向けになったままなのだろう。
本を読むことも、映画を観ることも
好きなお酒をたしなむこともできず、
永遠、二ヶ月半もの経過は、むなしすぎる。
これが治療と断言する医者がいたら、
そいつは、そうとう愚鈍なやつだろう。
一生、自宅には戻れないという。
ということは、人生の最期を迎えるまで、
自らの死を待ちながら横たわることになる。
いかにそれは虐待という言語を使用しても、
医者に怒る資格はないに等しい。
それが、現代医学の賢明な手段なのだろう。
もし、父が尊厳死を望んだとしたら、
それは、国が許可するのが当然のことだろう。
酷暑、猛暑という季節の真っ只中だ。
エアコンの鋭く効いた院内は、
けして季節の移り変わりを肌で
感じることはできない。
惨いという以外にない牢獄のような空間だ。
老父は、しきりに帰りたいと懇願するが、
いざ、自宅に戻ってきたところで、
脳がすでに破壊し始めている91歳の老人を
面倒看るにふさわしい環境はないに等しい。
そんな父にも、口には出したくないのだが、
近い将来、確実に他界という安楽な世界への
旅立ちが訪れる。
それしか、楽という漢字はないのである。
病院での治療は、既に延命治療であり、
なにか手を施すこともなく、
二十四時間、点滴を投与するだけである。
病院に入院している意味を考えたら、
どんなバカでもその無意味さは理解できるだろう。
劣悪環境に置かれた父を救えるのは、
医者でも看護師でもなく、我々家族であることを
忘却してはならない。





















