毎年アップしている写真(^^)
1992年
今から32年前私が
24歳の時に産声をあげたアクティブ
最初はスポーツカー専門の中古車販売店
当時まだローンが残っていた車を手放して
開業資金の一部にして
無い車のローンをひたすら払いながら始めました
この画像は撮影の為に7台展示していますが
本当は4~5台しか置くスペースはありませんでした(笑)
GTRを並べたかったけど
そんな資金はあるわけななく
タイプMやZ31等を並べてました
小倉育ちの私が
苅田町にお店を出した理由は
中古車販売店が沢山あり
当時車を探しに行くなら苅田に行こうという感じだったのと
そして苅田港では週末
ストリートゼロヨンが全盛期だったので
資金も在庫もほとんどない小さなお店しか作る事が出来なかった私は
ゼロヨンの帰りに必ず見てもらえる
10号線沿いの小さなテナントを借りたのです
工場も無い
工具もほとんど持ってない状態で
最初はGTRなんて一台も置けませんでした(汗)
工場がないので
歩道で作業していました💦
でも
いつかは在庫車両を全てGTRにしたいという根拠のない野望だけはありました
毎日深夜まで働き
週末はストリートゼロヨンに通い
またお店に戻り
ゼロヨン帰りに立ち寄る人を待ってました
深夜の2時か3時くらいに試乗して販売した事もあります(笑)
そんな日々が続き
最初は食べていけない状態でしたが
少しずつお客さんも増え
いよいよ場所が狭くなり
思い切って
移転を決意しました
その時も本当に運がよく
色々な方々に助けてもらいました
そして26歳の時に
念願の工場付きの店舗を新築しました
最初に建てた工場も手狭になり
同じ敷地内に別棟でまた工場を新築し
チューニングや整備スペースを沢山確保し
念願のGTR専門店へとなりました
今でこそGTRは世界中で人気がありますが
途中リーマンショックや
VIPカーブームやワゴンブームにより
スポーツカーの人気がどんどん落ちて
専門店がかなり撤退したりしていましたが
一つの事しか出来ない不器用な私は
ひたすら景気が悪かろうがGTRに固執してました
2022年
DRYCARBON-Rがアメリカに2台揃いました
夢みたいな光景でした
そして昨年は念願のSEMA合同自社ブースにて出展
何と3年連続SEMAに出展する事が出来ました
Larry Chen official
VIDEO OPTION official
TOYO TIRES official
沢山の動画
最近では恒例行事になってきた
東京オートサロン
3台出展しました
オートサロン限定モデルのモデルカーを発売したら
行列が出来てびっくりでした
新製品も沢山展示
何と今年は
チューニングカー部門
最優秀賞を頂きました‼️
最高のひと時でした
富士スピードウェイモーターファンフェスタ
WEKFEST JAPAN 名古屋
NITTOタイヤさんと合同ブース
WORKさんのブースにもCARBON-Rを展示
アワード受賞しました
今年はUSA WEKFEST SEATTLEにも出展
インドネシア
エリートショーケースにも参加
昨年に続き
オーストラリア GT-RFESTIVALにもゲストで参加
アクティブオーストラリア
DAHTONE RACING アクティブワイドボディー
オーストラリアで新製品の開発
パワーチューンオーストラリアの皆様
今年も沢山のGTRファンの方々と交流出来ました
来週から
マレーシアです
世界中のGTRファンと交流出来て幸せです
今年は遂にBCNR33 DRYCARBON-Rの製作に入りました
HKSの方々今年も来店頂きました
CARBON-R NO9
同時製作中
創業から32年
本当に毎日GTR三昧です
まあまあ
色々な事にチャレンジしています
私の原点R32の年です(笑)
32年という歴史は
このブログの中で全てを語るには
無理です(笑)
毎年思いますが
こんなお馬鹿なおっさんがよく続けて来れました
ありきたりな感謝の言葉であっさりと言うほど軽い感覚ではないです
本当に
本当に
皆さん有難うございます
言葉で言うのは簡単ですが
きちんと態度と結果でこれから示していきたいと思います
私が自信をもって言えるのは
ただ一つです
多くを語りません
残りの人生もGTR一色です
最後の目標は
ブレずに定めてます
そこに向けて走るだけです
行橋の田舎町から
世界に向けて挑戦です
もう若くはないですが
死ぬまで勉強です
長きに渡って支持してくれているお客様
私を信じて付いてきてくれているスタッフの皆様
取引先の皆様
何度も言いますが
有難うございます
恩返しできるように頑張りますのでこれからもよろしくお願いいたします
おじさんの挑戦は続きます
2024年7月6日
アクティブ
坂本和繁