日本の合唱界を牽引されてきた偉大な指揮者、指導者のお一人、田中信昭先生がご逝去されました。
東京混声合唱団を結成され、数々の歴史的な名演を行ってこられた田中先生。
しんしょう先生の名前で親しまれ、我々国立音大の卒業生はベートーヴェン『第九』の合唱指導で大変お世話になりました。
普段はとても優しく親しみやすいお人柄で、こういっては失礼なのですが見た目がとても愛らしく、オシャレなおじいちゃんという印象でした。
ところが音楽になると一転、一切の妥協をしない厳しいご指導。
容赦なく音程の悪い生徒を1人で歌わせたり、歌詞の解釈を全生徒の前で説明させたりするので、毎回しんしょう先生がおいでになる集中練習の時期は戦々恐々としていました。
服の特徴を指して、そこのシマシマさん!赤い人!などと当てられるので、みんなできるだけ目立たない服を着ていこうとしていました。
一度だけ僕1人当てられて、音程が合うまで、違う!違う!と何度も歌ったことがありました。
「これは吊し上げではなく、あなたが見本を示してくれたことでみんなが自分もそうしなければいけないと気付く、胸を張りなさい。」
と言われましたが、当時はへこんでなかなか立ち直れなかったことを覚えています。
でもそのお陰で無神経に声を出していた自分を反省して見つめ直すきっかけになりましたし、音楽をより深く理解する意味、合唱をする上で何が必要か、音程やピッチの重要さなど、今の音楽生活に大きく影響を与える要素をたくさん教えていただきました。
一度、泉岳寺にあるN響の練習場にオケ合わせに向かう際、電車で先生とご一緒したことがありました。
席が空いたので、先生どうぞ、と勧めると、「僕は絶対に電車で座らないんだ」と仰りました。
当時80歳近かった先生がそう仰ったことに驚いていると、「体幹がしっかりしていれば電車でもふらつかない、それに長い曲を指揮するときは4時間立ちっぱなしなこともあるから、普段から立つ癖をつけている。」と理由を教えてくださいました。
生活の全てにおいて、音楽をするための体づくりをされている先生を見て、あぁこの人はこの先もずっと衰えずに活動を続けられていくんだろうなと思いましたし、今も変わらずご活躍のことと勝手に思っていました。
96歳。
普通に考えたら大往生と言っても差し支えないご年齢だと思うのですが、先生のパワーだったらその先も衰えを知らずに突き進んでいくのではないかと思ってしまうので、この度のご訃報は残念でなりません。
日本の音楽会に素晴らしい功績と影響を与えてくださり、そして音楽と共に歩み続けてくださりありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。