日本医療評価機構理事である初代岩崎榮病院経営局長が唯一認めた医療事故 | 不可能をかのうにする かのう重雄 オフィシャルブログ「一つ、ひとつを重ねて」 Powered by Ameba

日本医療評価機構理事である初代岩崎榮病院経営局長が唯一認めた医療事故

日本医療評価機構理事である初代岩崎榮病院経営局長が唯一認めた医療事故(群馬大学医学部と横浜市大医学部 その3)


平成15年、全員が横浜市立大学医局出身で構成されていたセンターの脳外科チームよって引き起こされた内視鏡医療事故。執刀医達は院内の倫理委員会に新しい手術方法(内視鏡手術)を行うことを通さず、また、未経験のまま手術を行い、50歳女性に重度の障害を引き起こし、最終的には亡くなられた。


これは、日本内視鏡外科学会の認定した医師を助手としてつけて、最初の2例を行った群馬大学医学部よりひどい。

また、当時、担当の脳外科からはインシデント報告があがらなかったため、救急初診医の所属する脳卒中診療部からの疑義でインシデントがあがった。


横浜市は横浜市内視鏡手術調査委員会を立ち上げ、29ページにわたる報告書を作成。当時の関係者から情報を聴取し、院外の専門家の最終的には計4名の意見を取り入れ、「医療過誤と言わざるえない」という結論を出した。端的に言えば、玉虫色の結論である。


それでも、中田元市長は、その報告を受け、25人という大量処分を行った。その中に、当時の副センター長であり、医療安全担当でもある脳卒中診療部トップの畑隆志神経内科部長も含まれていた。この処分に関しては公正性の点で非常に問題があった。いわゆる、できレースである。


つまり、横浜市立脳血管医療センターの医療事故後の処分を決定する分限・懲戒審査委員会で結論の出ていない審議中に横浜市衛生局(横浜市病院経営局の前衛)は、医療事故を引き起こした医局員らの出身大学である横浜市立大学医学部と連携して神経内科部長人事をすでに決定していたということを、この私自身が調査し、把握したからである。

もちろん、公にして議会でも追及した。詳細は以下のブログにも掲載した。

http://ameblo.jp/shigeo-kanou/entry-11885787805.html



しかし、民事裁判が始まると横浜市は報告結果を翻し、「医療事故ではない。」と主張し裁判で争い始める。ところが、医療事故ではないと主張しながらも、25人の処分は取り消さなかった。行政機関としての全く一貫性もなければ誠実さもない。


さらに、去年報道された千葉県立がんセンターと同様に、横浜市は院内で疑義を発信した脳卒中診療部の医師一人を臨床業務から外し、事務職に人事異動させることまで行った。脳卒中救急を担うtPA治療の専門家をセンターから外したのだから凄い人事である。


当然のごとく、脳卒中診療部の医師達から、事故を指摘したものに対する報復人事だとして抗議が起こる。その歴史は脳卒中助かる会のホームページでも記録されている。

http://nosottyu-tasukarukai.com/youbou0117_06-2.html



その後、脳卒中診療部の医師たちが次々と退職していく。

http://judiciary.asahi.com/articles/2014060800001.html



さて、日本医療評価機構理事である初代岩崎榮病院経営局長の下で、院内の倫理委員会に新しい手術方法(内視鏡手術)を行うことを通さず、また、未経験のまま手術を行い、50歳女性に重度の障害を引き起こしたことは医療事故ではないとした横浜市だが、その局長の下で唯一認めた医療事故がある。


平成18年4月10日、MRIで脳にうみがたまる脳膿瘍と最初に診断し、脳腫瘍と診断しなかったことを医療事故として公表したのである。横浜市病院経営局が作成した資料はインターネット上でも見れる。

http://www.city.yokohama.lg.jp/byoin/kisya/h18/060410-2.pdf



男性は平成16511日、倒れて入院。脳にうみがたまる脳膿瘍(のうよう)と診断されたが、同年63日、脳腫瘍と判明。2日後に腫瘍から出血し緊急手術を受け、7月に転院した病院でがんも見つかり8月に死亡した。


遺族の要請で平成17年末、磁気共鳴画像装置(MRI)の画像などを再調査した結果、センターは「遅くとも517日の時点で脳腫瘍を疑うべきだった」と結論づけ、主治医の処分を検討する」と当時、報道された。


その報道を受け、4月13日、以下のようなブログが発信されている。この結果を受け、私は非常に不可解に思ったので数名の専門家に意見を求めた。その時の見解と一類似しているので参考に掲載する。

http://nougekai.diarynote.jp/200604131558490000/



「脳膿瘍と鑑別診断が難しい脳腫瘍はそれほど珍しいものではない。転移性脳腫瘍では消化器のがんである腺腫といわれるものが画像で脳膿瘍との鑑別が難しいことは脳外科専門医なら誰でも知っている。


だから1.脳膿瘍 2.転移性脳腫瘍 3.原発性悪性脳腫瘍くらいの診断で抗生物質を投与して経過観察中に腫瘍内出血をきたしたのでは。


転移性脳腫瘍ということであれば末期がんということで、たとえ予想される診断の1.2.の順位が変わったところで生命予後はほとんど変わらなかったことだろう。


腫瘍内出血して急変でもしない限りがんの原発巣を検索して治療可能性を検討する方が先であり、余命3ヶ月であれば脳腫瘍摘出術をして残り少ない人生を無駄に入院させる必要はないと考えるのが普通では。


結果が家族にとって満足できないものだったので市が調査し、主治医らの責任にして決着させるつもりなのかもしれないが、そんなことをしていたら横浜市の病院にはまともな医師はいなくなるに違いない。


診断というものは考えられる可能性を検証していく過程でもっとも確率の高い病名であって、検査などで新しい情報が加われば変わる可能性があるのだが、一般人にはそれがわからないということなのだろう。


脳腫瘍について言えば確定診断はMRI画像ではなく病理組織でつけるものである。このケースのように末期がんで死亡したにもかかわらず、MRI画像を検討して主治医の診断を非難するのが横浜市のやり方というのなら、今後は横浜市では防衛医療が横行することになるのだろう。


市立病院を自らの手でダメにしているようにしか見えないが、そんなことをしなくても全国的に市立病院は医師引き上げ対象なのにいったい何をやっているのだろうか。」


さて、この医療事故で注目すべきはこの結論に至るまでの医療紛争連絡会の経緯・経過の不自然さであろう。最終的には医療事故ではないとした内視鏡手術調査委員会報告書は17ページにわたり、計4名の専門家に意見書を提出させている。



医療事故と公表した脳血管医療センター医療紛争委員会の報告書はたったの4ページであり、専門家の意見も帝京大学医学部放射線科の医師、たった一人である。


平成16年7月に2回、医療紛争連絡会が開催されているが、この時は「結果を知った後から振り返ってみれば判断の誤りはあったが、各々の判断の時点では、科学的に妥当性があった」と結論づけられている。


当時を知る医師がほとんど退職していった1年半後の平成18年1月13日、再度、第3回目の医療紛争連絡会が開催されている。さらに、注目すべきは医療紛争連絡会の委員の大幅な変更である。


横浜市大出身の腹部を診る消化器外科医であるセンター長が委員長となり、就任経緯に不正が疑われた横浜市大出身の神経内科部長が委員に加わった。


「科学性に妥当性があった」と結論づけた委員長であった元センター長が唯一の当時を知る委員であった。(元センター長は、副センター長時代に院内で飲酒事件という不祥事を起こしながら昇任してセンター長になった経緯をもつ。昨今では5分~10分の従事時間で5万円をもらっている交通局の産業医として、その勤務状態を問題視され議会で指摘されている。)


すると、連絡会の結論は、第2回目までの結果を翻し、医療事故と結論づけた。そして、不自然なのは主治医へのヒアリングが最終の第6回目の医療紛争連絡会で行っており、誰一人当時の関係者のヒアリングを行っていないことだ。


さらに、横浜市大医学部の取り違え事件を機に、医療事故に至るまでには、病院のシステムに問題があると言及がされるようになっていたはずだが、この医療事故に関しては、横浜市大出身のセンター長の下で一貫して主治医の責任追及のみがされている。

http://www.yokohama-cu.ac.jp/kaikaku/BK3/bk3.html



たとえ、名称を変更したとしても横浜市脳卒中・神経脊椎センター(旧脳血管医療センター)の歴史を今後も検証し続けることは、改めて横浜市の人事の手法、横浜市がどこに軸足を置いて医療政策を行っているのか、公務員による病院経営の実態、横浜市医療安全課がどこに軸足を置いているかなど、改めて知る上で非常に重要であると思っている。