神奈川新聞の4月7日の報道から(脳卒中対策の法制化について) | 不可能をかのうにする かのう重雄 オフィシャルブログ「一つ、ひとつを重ねて」 Powered by Ameba

神奈川新聞の4月7日の報道から(脳卒中対策の法制化について)

神奈川新聞の4月7日の報道から(脳卒中対策の法制化について)


4月7日、神奈川新聞に脳卒中対策法制化の記事が掲載された。新聞を開いて驚いたのは、横浜市立脳血管医療センター側からの紹介記事や、山本勇夫氏のコメントを隣に掲載してしまっていることだった。


読者は、脳卒中対策法制化の推進役となっているのが山本勇夫氏であり、その中心の医療機関が横浜市脳血管医療センターだと読んでしまうのではないかと危惧する。


掲載されている脳卒中対策基本法の法制化の中心となっているのは一体誰であるのか?インターネットを使えばだれでも検索できる。横浜市の患者団体の一つでもある脳卒中から助かる会のメンバーさん達だ。

http://nosottyu-tasukarukai.com/



今や、日本の脳卒中対策立法化推進協議会のメンバーでもある。

http://www.neurology-jp.org/news/news_20130801_01.html

http://www.neurology-jp.org/news/pdf/news_20130801_01_01.pdf


また、脳卒中から助かる会代表の上野正氏は、法制化に向けての患者代表のワァーキングメンバーでもある。山本勇夫氏などメンバーすら入っていないし、オブザーバーでもない。入っていないどころか、治療実績に頓着しないで、独自の路線でピーアールを横浜市内において展開している。その姿勢のために、以前から患者団体と相対しているのが、山本勇夫氏である。


法制化において最も重要な点は、患者本位の脳卒中医療を展開することである。がん対策基本法も患者本位の法であったからこそ、国会議員団が動いて制定されたのだ。


そして、病院側に軸足を置き、質の高い医療を提供しているとは言い難い横浜市の脳血管疾患救急医療体制の現実が、彼らの法制化へむけての大きな原動力になっている。脳卒中対策基本法制定へ向けての国会議員も、事実、大いに彼らの意見に耳を傾けている現実がある。


さらに、脳血管医療センターの急性期脳卒中診療の一つでるtPA治療実績の年々の劣悪化は、大きな問題となっており、1月に行われた消防局所管常任委員会の有志のメンバーで行われた横浜市会議員の勉強会でも、そこのとは認識された。


平成24年度、横浜市立脳血管医療センターのtPA治療実績の惨憺たるものがある。32例と数だけは突出しているものの、その成績は薬を投与しない場合より悪い事例が。そして、毎年tPAの治療成績は落ち続けている。


今年の予算研究会(勉強会)で、 “tPA治療実施数の多さ” を強調し、数の多さだけで実績があると予算案に掲載し、議員への説明でも強調していたのが横浜市病院経営局である。馬鹿げたことだ。


tPAの治療は高額医療である。施行数のみを増やして、収益をあげたことを実績としているのなら、とんでもない話である。そして、少なくも、山本勇夫氏が脳血管医療センターのセンター長になってから、脳卒中医療の機能充実がどれだけ図られたのだろうか。厳しい現実が。


今や、都合の良いデータのみを集めて、実際のデータより実績をよくみせようとする手法など、降圧剤のねつ造論文問題が明るみとなり大きな社会的問題となっている今、医学界では通用しない。「本市の医療政策を行っている横浜市病院経営局や横浜市健康福祉局が、それを旧態然として行っている」との声をよく聴くが。


報道は事実を確認し、様々な方向から対比した形での記事を書く。一方の主張どおりに記事を書くなら、広報となんら変わりがない。


ひと昔前の神奈川新聞を思い出す。特に坂本弁護士一家のオウム報道では光彩を放っていた。社会に警鐘を鳴らし、それが現実のものとなった。まさに広報ではなく新聞であった。


「ジャーナリズムの使命は何かである。」奈良産業大学情報学部教授 亘 英太郎(わたり えいたろう)著『ジャーナリズム「現」論』が参考になると言われている。



チェック機能こそが、ジャーナリズムの生命である。ー 監視・チェック機能こそ、メディアが健全な社会を作り維持するためにもっとも期待されている役割だ。メディアの存在理由であり基盤である。これを忘れてメディアが権力と癒着したり、メディア自身のモラルを低下させてセンセーショナリズムに走ったりすることは許されない。


多くの著名なジャーナリストやメディア研究者がチェック機能の重要性を繰り返し語ってきた。メディアやジャーナリストを、ある集団の「歩哨」や航海中の船の艦橋に立つ「見張り番」にたとえ、警戒すべき変化や危険の兆候をいち早く見つけて大声で叫ぶことの大切さが説明されている。


歩哨や見張り番は、人々が寝ている間も懸命に監視を続け、自分を信頼してくれる人々の安全のために働くわけだ。まさにメディアの「監視機能」もそのような働きである。


社会の隅々に目を光らせ、社会の健全な発展を阻害するような変化や危険を見つけると大声で社会に知らせ、警戒を呼びかける。監視の対象は国や権力に限らない。巨大組織や大企業など、国民の生活と生命に大きな影響力を持つ機構、人物すべてが対象になる。


もちろん、いまや大変な影響力を持つに至ったメディアも対象になる。監視するだけでなく、不正義を広く社会に告発・公表する役割も含まれている。


通常、権力や大組織の不正、腐敗といったことは、隠されている。従って、メディアは単に監視するだけでなく、これらの悪事を探り出し、発掘する必要がある。発掘には大変な困難が伴うが、懸命の努力で不公正を掘り出して公表し、権力や大組織の姿勢を改めさせるのがメディアの仕事と考えるべきだ。


実際、脳卒中対策基本法の法制化が実現したとき、中心となっている横浜市の患者団体が、横浜市立脳血管医療センターの歴史と山本勇夫氏についてどう語るかを神奈川新聞の記者だからこそ考えてほしい。もちろん、この私自身も大いに関わって奔走しているだけに、多くを語ることができる。


がん対策基本法成立にむけての経過を、読売新聞東京本社社会保障部の本田麻由美記者は、法制定に果たした患者の声の役割を描き、ジャーナリズムの使命を果たした。この記事は将来にむけての神奈川新聞のジャーナリズムの危機を予見するものであってほしくはない。


当然のことながら、横浜市市民局が人権を謳うならば、神奈川新聞のジャーナリズム精神を応援すべきであろう。互いに切磋琢磨してこそ、横浜市という権力や大組織の不正、腐敗を防ぐことができるはずだ。