横浜市の子宮頸がんワクチン対策2014その2
横浜市の子宮頸がんワクチン対策2014 その2
1月20日の厚生労働省の副反応検討部会の結果では、副反応は心身の反応によるものとし、子宮頸がんワクチン接種勧奨再開へと舵取りをとった形となった。日本の厚生省の歴史から鑑みると、この性急さは不自然に思える。
ハンセン病の歴史から始まり、水俣病、サイドマイド、薬害エイズ、薬害肝炎と、例を挙げたらきりがないが、その強引な手法が常に後手にまわり、被害を拡大してきた歴史がある。そのつど、永い裁判が行われてきた。今回も、歴史が繰り返されるのではないかと危惧する構図へと突き進んでいるように思える。
横浜市は、横浜市立大学医学部とともに、子宮頸がんワクチン推進を最も行ってきた自治体として有名になった。子宮頸がんワクチン副反応問題は、まさにこの横浜市が中心となる。
20代、30代の子宮頸がんの死亡率が増加してきたと宮城悦子医師は、若い世代をターゲットとし、学生達まで巻き込んで推進してきた。果たして、この学生達は、この横浜市において20代、30代の子宮頸がんで亡くなった方がどんどん増加しているかどうかを、調べたことがあるのだろうか?
横浜市衛生研究所のホームページから、その数を調べることができることが、最近わかった。横浜市には人口動態統計資料なるものが公表されており、年齢ごとの部位別のがん死亡数が誰でも調べることができるようになっている。
たとえば、平成24年だが、横浜市の子宮がんの死亡数はゼロだった。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/eiken/health-inf/doutai/h24.html
横浜市健康福祉局で議員対応をしている職員は、そんなことなど一切教えてはくれない。我々議員がよほどしっかりして自分の目で確かめないかぎり、とんでもない数字のマジックで振り回されることになる。間違ったデータの使い方で、不利益を被ることになるのは横浜市民であることを忘れてはならない。
さて、1月9日、厚生労働省は高血圧の薬剤の誇大広告をしたとして、製薬会社を刑事告発した。
http://www.asahi.com/articles/ASG193G2GG19ULBJ004.html
その同じ厚生労働省だが、子宮頸がんワクチンの副作用問題を議論する専門部会に、利益相反を疑われるメンバーを過半数入れて(15名中9名)議論していることが、1月26日の東京新聞で大きく報道されていた。15名中9名の委員が子宮頸がんワクチンの製造元であるグラクソスミス・クライン社やメルク社から資金提供を受けているという。
一方、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会の要請に応じ、約30人を診察した国立精神・神経医療センター病院の佐々木征行医師は「現段階でワクチンが影響を与えている証拠はないとしても、明確に否定する材料もない。切り離して考えるのは無理がある。」と論じられている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014012602000128.html
ところで、この15人の医師の中で、一体何人の医師が被害者の方の診察を行っているのだろうか? あるいは、最近の医師は、診察もしないで判断するようになってきているのだろうか?単純な疑問が残る。
さらに1月27日の神奈川新聞には、その専門部会の委員でもある岡部信彦川崎市健康安全研究所所長のコメントが掲載されていた。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401270001/
特に印象的だったのは記者の質問に対する以下の言及である。―ワクチン接種開始当初の対応に問題はなかったのか。―「子宮頸がんワクチンの予防接種はいわば急発進で始まった。効果や意義が十分に説明、理解されないまま広く行われたことは否めない。」
―ワクチン接種の必要性をどう考えるのか。「発症自体は10年、20年単位でみる必要があるので予防効果は確かに実証されていない。」実証されていないものを「予防できる」と発信してきたことは、誇大広告にあたらないのだろうか?
一方、サーバリックスの添付文書には「本剤の予防効果の持続期間は確立されていない。」と書いてある。
http://www.e-pharma.jp/allHtml/6313/631340QG1022.htm
10年、20年も経過をしないと実証されないワクチンで、かつその予防効果の持続期間も確立されていないワクチンを、横浜市内に住む多くの女子学生が接種されたことになる。
今後、横浜市健康福祉局が歴史的に評価されることはこの点にある。この事実を横浜市健康福祉局がきちんと広報した上で、ワクチン接種を推進してきたか否かを検証しなければならない。
たしか、横浜市広報で子宮頸がんワクチンの積極的勧奨中止に関する記事を掲載したのは、呆れたことに2014年1月号である。半年も遅れた広報である。
横浜市の広報誌のあり方も含め、今後、十分議論されなければならない深刻な問題であると私は思う。