横浜市立脳血管医療センター | 不可能をかのうにする かのう重雄 オフィシャルブログ「一つ、ひとつを重ねて」 Powered by Ameba

横浜市立脳血管医療センター

横浜市立脳血管医療センターに関わった横浜市衛生局・病院経営局・健康福祉局の行政職員のコンプライアンスと人事。その1




平成20年8月15日、元横浜市立大学山本勇夫教授が横浜市立脳血管医療センターの5代目のセンター長に就任された。学位審査問題で不祥事を起こした人間を赤字病院のトップに添えるという病院経営局の常識では考えられない人事には非常に驚かされた。当然のことながら、議会でも批判が出た。




当時の常任委員会副委員長であった公明党牧嶋議員はよく調査の上、病院経営局委員会で厳しく指摘していた。平成20年8月27日の毎日新聞にも横浜市立脳血管医療センター長の山本勇夫氏の市議会での答弁は報道された。それだけ、彼の答弁は印象的だったのだ。




彼は在職中に横浜市立大学医学部謝礼金を受け取っていることを認めている。平成18年3月8日、警察による家宅捜査が病院経営局と横浜市立脳血管医療センターに行われたが、その原因となった医療事故こそ彼の弟子である横浜市大の脳外科医師達に引き起こされたという事実もある。




それだけの大きな社会的な問題を引き起こしておきながら、全く自覚のないその時の答弁の一部をここで紹介したい。




http://giji.city.yokohama.lg.jp/kensaku/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?USR=kanyoks&PWD=&A=frameNittei&XM=000100000000000&L=1&S=15&Y=%95%bd%90%ac20%94%4e&B=-1&T=0&T0=70&O=1&P1=&P2=%96%71%93%88%8f%47%8f%ba+&P3=&P=1&K=303&N=2476&W1=&W2=&W3=&W4=&DU=1&WDT=1



元公明党牧嶋議員とのやりとりである。

◎(山本脳血管医療センター長) ―略―  1つは、医療事故から始まりまして、いろいろな問題で人間関係がぎくしゃくしていることも事実でございます。そういう意味で、もっと良好なコミュニケーションのとれる職場にしていただきたいということが一つ。




それから、私も横浜市立大学におりましたので患者取り違え事件もありましたけれども、医療事故がありますと、安全面を重視する余り守勢に回ってしまう。


特に医療は日進月歩でございますから、常にそういう変化に対応できる、新しいことに挑戦しようという気迫がこの4カ月間やや欠けてきているのではないかということを危惧したものですから、これから脳血管医療センター病院の経営問題、それから医療レベルアップのためには、悪しき前例は変えるための努力をしたい。


そのためにはチャレンジをしたり変化を求める努力をしようではありませんかということを職員に呼びかけた次第でございます。




◆(牧嶋副委員長) 今言われた悪しき前例というのは何ですか。-略―  

だけれども、引きずる原点をつくったものの一つである医療事故については、それは山本先生の部下の方だと思うのですが、医師のプライド、功名心というものが前にあって、全く初めての手術を未経験の医師が行って、トラブルになってしまったのではないかと思うのです。




そういう中でセンター長がチャレンジと言うのであるならば、横浜市の脳血管医療センターは、治療の場でなくて、極めて専門的なドクターたちのチャレンジの場、練習する場になってしまうのではないかという気がしてならないのです。





引きずっているとか、チャレンジとか、反省しているとか、いろいろな言葉が出てきましたけれども、センター長は、脳血管医療センターの長として責任をとる資質とか、また、市民からの信頼を得て、そこの長として指揮をとる資質が自分としてはあるとお思いかどうかお伺いしたい。




◎(山本脳血管医療センター長) 非常に難しい質問ですが、私は、やるからには最高の医療を提供しなければいけないと信じております。しかし、そのために、先ほど牧嶋副委員長がおっしゃいましたような専門家集団のチャレンジする場所であるという認識は全くございません。




もちろん今までの反省も踏まえておりますけれども、やはり医療というのは一歩一歩地固めしながら進んでいかなければいけない。これは私も十分認識しているつもりでございますし、横浜市立大学の教授時代もそういう形でやってきたわけでございます。不幸にして脳血管医療センターで医療事故が起こったわけですけれども、決してそんなつもりではない。




しかし私は、やるからにはやはり最高の医療を提供する、一歩一歩前を向いてやるという姿勢で職員と一緒にやっていきたいと思っております。私が横浜市立大学で16年間やりました治療歴については、むしろ皆さんが評価することであって、自分がどうこう言う問題ではございません。全力を尽くしていく所存でございますので、御理解いただければと思います。




最高の医療を提供するとよく言い切ったものだ。

平成11年から平成17年まで、横浜市立脳血管医療センターでは確かに最先端の治療を行っていた。病院はいつも人気で入院するのに大変だった。救急搬送数も半端ではなかった。tPA治療成績で全国一の成果を成し遂げたのは医療チームのリーダーは神経内科の医師達で脳外科医ではない。




まして、横浜市大の医局とは殆ど関係ない医師達による実績だった。また、数少ない脳血管内治療指導医が活躍していた。山本勇夫センター長が就任後、その全員が病院を去った。



それから、4年経過したが、病棟数を300床から250床に閉めても、病院は赤字。山本勇夫センター長を講師とした講演会を横浜市役所の援助を借りて、大々的に行っても、一向に好転しない。




市民からの信頼を得て、センターの長として指揮をとる資質が自分としてはあるかどうかを認識するのに普通は4年もかからないだろう。


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