横浜市の人事(横浜市大医学部のコンプライアンス)その2
横浜市の人事(横浜市大医学部のコンプライアンス)
その2
禍が上から起こる。
3月26日、刑事裁判で、暴行罪で略式起訴された社会予防医学教室・大学院医学研究科疫学・公衆衛生学部門の水嶋春朔教授が、民事裁判で賠償命令の判決を受けたことが新聞で報道されていた。
そのひと月前の2月29日、聖マリアンナ医科大学の耳鼻科の助教授が研修医に暴力をふるったことで、同大学総務部薄井隆文部長は「社会人として許されざる行為で、論旨退職の厳しい処分にした。」と話していることが報道された。
一方、横浜市立大学による水嶋教授に対する処分は停職3カ月。この違いは一体どこからくるのだろう。3回にわたり大きく報道されたわけだが、教育者としての仕事が現在できているかどうか、甚だ疑問である。
平成23年、横浜市大医学部長だった神経内科黒岩義之教授。中田宏市長時代、筆頭副市長であった本多常高理事長の次期理事長の人事を画策したという理由で医学部長を解任されている。
一方、学生の頭を踏みつけるというパワハラを行い、刑事告訴され、有罪判決になった教授のことを横浜市は記者発表もしない。
私は以前、脳血管医療センターの処分、人事など当時議会でその不正を指摘させていただいたがことがあるが、その時の筆頭副市長は本多常高理事長であった。
そして、その後に起きた町田市長選をめぐる政治資金法違反事件における中田市長の次の最高責任者が本多常高氏であったわけだが。
横浜市大医学部の人事問題がなぜよく報道されるのか。それは、不祥事発覚後の横浜市大医学部の処分を含めた人事が、世間一般常識と乖離しているからだ。
そして、その不可解な人事の法則が、現在の横浜市に受け継がれているのではないかと私は危惧している。
みんなの党の伊藤議員も去年の5月のブログで横浜市大医学部長解任に対する問題点を指摘していた。伊藤議員の指摘にもあるように、本市の医療政策室長はその騒ぎが起きている横浜市大からの人事異動で現職についている。
横浜市の医療政策といえば、その室長のもとで横浜市大医学部との連携を強調した路線で展開されている。
さて、日経メデイカルに以下のような記事を見つけた。黒岩教授の言い分が書かれている。山田前副市長が登場しているので大変驚いた。こうやって、横浜市大医学部と横浜市の行政マンあるいはそのOBの姿勢が日本中で有名になってゆくのだろう。私の周辺でも「強権的で旧式な人事。品性のかけらも存在しない」との声を聞く。
横浜市立大学 医学部部長解任の件
大学院医学研究科神経内科学教授 黒岩 義之
私は今年の1月28日、本多常高理事長と布施勉学長に突然呼び出され、「医学部長を辞任してほしい。応じなければ解任する」と告げられました。
その理由は、「理事長後任人事をあちこちで話していることが調査の結果、
分かった」というものでした。「全く身に覚えがない」と反論しましたが、学長は証拠を示さないまま、「私たちはあらゆる証拠をつかんでいる」とただ主張するばかりでした。
2月1日と10日にも再度呼び出され、ようやく、昨年12月6日に私が、ある会食の席上、理事長人事を画策したことが理由だと告げられました。
そして改めて「辞任か、解任か」と迫られたのです。4月8日には解任通知が届き、私は4月12日、横浜地方裁判所に地位保全の仮処分を求める申し立てを行いました。
「横浜市大が招聘」の勘違い大学側が、「私が理事長人事を画策した」という12月6日の食事会について、詳細にお話ししましょう。
この12月6日の食事会はもともと、昨年8月に、ファカルティ・ディベロプメント(Faculty Development、FD:大学の授業改革のための取り組み)の特別講師として、本学に癌研究会顧問の土屋了介先生を招聘すると決めたことがきっかけでした。
10月4日に土屋先生が東京大学医学部附属病院総合研修センター講師の原一雄先生などと会食した際、原先生の高校時代の同級生に横浜市副市長の山田正人さんがいるという話になり、改めて山田さんも交えた飲み会を設定することになったようです。
山田さんは男性ながら育休を取った“イクメン”として有名な方でしたから、その話を聞いた横浜市大神経内科教授の鈴木ゆめ先生も、女性医師のキャリアパスを考える観点からその食事会に参加することになりました。
その後、鈴木先生から、「2月に開催予定のFDの打ち合わせを兼ねて同席
しないか」と声をかけられたのです。
誤解の原因となったのは、12月の食事会の前に山田さんが原先生に、初対面となる土屋先生について質問したことのようです。それに対して原先生「今度横浜市大に招聘される先生だ」と答えたそうです。
もちろん、あくまでFDの講師として招聘なのですが、その話が横浜市大担当の別の副市長に「理事長を外部から招聘する話がある」との内容で流れ、最終的に理事長に伝わったというのが真相のようです。
この件に関しては、これ以上のことは何もありません。ですので、私が理事長人事を画策したという「確たる証拠」を見せてほしいと何度もお願いしたのですが、大学側は裁判になってからも一切示していません。
そもそも医学部長の職には、カリキュラム運営会議や医学部の将来計画など、医学部内の重要な会議や教授会の議長などに関する決定権限はありますが、全学的な権限や理事長を解任するための権限はありません。
また、主任教授職については、解任の対象となっていませんでしたから、最後まで何を目的としていたのか分かりませんでした。「私怨だったのかも」、とも思いますが、現在の理事長とは会合ごとに顔を合わせる程度の仲にすぎませんし、思い当たることがないのです。
5月12日、横浜地裁から、大学側は解任を撤回し、私が7月31日付けで医学部長を辞任することを軸とした和解案が出されました。私は何ら悪いことをしていませんから、和解に応じて辞めることには忸怩たる思いがあります。
ただ、争いが長期化すれば、職員や学生に迷惑がかかりますし、私は来年3月に定年退官です。このまま裁判で争っても、結果が出た頃には既に退官時期を過ぎている可能性は大きいでしょう。
また、横浜市大の定款では、医学部長の任免は理事長の専権事項であるとされているほか、大学側は地裁に対し、「医学部長はあくまで教授職の補職であり、その任を解くのは降格ではない」との主張を繰り返していました。
ただ一方、大学側も私の定年前の辞任と引き替えであれば、解任の撤回には応じる姿勢も見せていたのです。
和解に応じて医学部長解任が撤回されれば、私は大学側の判断の誤りを証明でき、「自分の潔白を証明する」という最低限の目標は達成されることになりました。
また、1月28日に呼び出されてから解任通知が届くまで、学内ではこの件について誰にも話さず一人で抱え込んでいましたから、その苦しさから解放されたいという思いもありました。以下略