横浜市救急医療検討委員会の歴史 | 不可能をかのうにする かのう重雄 オフィシャルブログ「一つ、ひとつを重ねて」 Powered by Ameba

横浜市救急医療検討委員会の歴史


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平成204月に横浜市健康福祉局・医療政策課が編集、発行したよこはま保健医療プランがある。そこに救急医療検討委員会の提言が載せられている。


 平成1711月の第1次提言から始まる。

横浜市の救急医療体制に関する提言である。この冊子には、誰がその記載を担当したかが全く出てこない。また、その救急医療検討委員会のメンバーの名簿すらない。

インターネットで検索してやっとメンバーが確認できる。


 平成19年から横浜市の医師による金銭の不正問題や、不祥事による新聞報道が過熱したことは記憶に新しい。平成193月―寄付金を受けた横浜市大教授ら、タミフル研究班から除外へ という報道には困惑した。


 平成203月の横浜市大学位審査の謝礼金問題、そして、横浜市病院協会の補助金不正受給問題、前横浜市民病院長が、法廷検査せずにヨット航行をしたことで書類送検された事件。


 さらに平成214月には、市大医療センター病院前院長のプール金問題と、立て続けに報道された。残念なことに横浜市の医療関係の長にあたる方ばかりの不祥事であり、衝撃が大きかった。


 今は平成22年。平成17年から5年経過して、当時の救急医療検討委員会のメンバーを見れば驚くのは 私だけではないと思う。


病院協会不正問題の中心となった病院協会理事、協会会長、横浜市大医療センター前院長、前横浜市民病院長など、新聞報道で不祥事を指摘されたメンバーがその名簿には居並ぶ。
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救急医療は、市民の関心の高い極めて重大な課題である。

この歴史を振り返りながら明日局別審査で、横浜市の医療基本姿勢を改めて確認してゆかねばならない。