この夏、沖縄の旧海軍司令部壕へ行った。
司令部壕は昭和19年に日本海軍設営隊により、つるはしなどで掘られた。持久戦を続けるため、4000人の兵士が収容されたと言われている。
首里城が陥落し、司令部壕も米軍に包囲された昭和20年6月13日、大田實司令官らが自決した司令室はそのままの姿で残っている。
大田司令官が海軍次官へ宛てた電報が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」である。
戦後から復興を遂げた日本において、その平和は沖縄の大部分を占める米軍基地によって支えられてきた。それができたのは、戦後72年が経った今でも基地移転問題やオスプレイの安全性などが取り沙汰されるように、沖縄が多くの負担を甘受してきたからである。
司令部壕は、下士官室も残っているが、驚く程狭い空間に、座る場所もないまま多くの兵士が立って寝ていたとされている。
資料館には多くの遺品、写真、手紙が残されている。
沖縄の問題は、自分達の問題であり、大田司令官の最期の思いは、日本人全員が忘れてはならないと思う。