岩手の名勝、浄土ヶ浜と龍泉洞

金澤成保 

 岩手旅行2日目の最終日は、ホテルのそばにある遠野南部藩の藩主を祀った南部神社にご挨拶に行った。チェックアウトを済ませてからは、内陸部の遠野をあとにしてJR釜石線から三陸鉄道リアス線に乗り替え、太平洋を臨む宮古に向かった。岩手の名勝のひとつ、浄土ヶ浜龍泉洞を訪れようと思ったからだ。

 

遠野南部藩主を祀る南部神社

 南部神社は、鍋倉山の中腹に鎮座し遠野南部藩主を祀る神社として、明治15年に創立される。遠野南部家の初代から8代(勤王八世)を御祭神としてお祀りする。鍋倉山は、安土桃山時代にこの地を領有した阿曽沼氏によって築城され、その後遠野南部氏の居城となり、現在その城址は鍋倉公園として整備されている。頂上からは、遠野の町を展望できる。

 

 1627年に、直義公が八戸から遠野へ国替え(移封)を命ぜられ、遠野南部家となってこの地を治めた。遠野は、隣国仙台藩と接する盛岡藩の要衝の地で、内陸交通と交易の要地でもあり、遠野南部氏1万2千石の城下町として発展してきた。

 

 神社創建の経緯は、明治9年、明治天皇が東北地方を巡幸した折、南北朝時代に南朝方に忠節を尽くした遠野南部氏先祖の事績をお聞きになり、南部家の宝物や文章をご覧になったところ、保存料を賜ったことがきっかけとなる。そのことを知った地元の有志が、遠野南部氏歴代の藩主を祀る神社の建立を明治14年に計画する。その翌年に、鍋倉神社として創立されるたが、後に南部神社と改称される。

 

極楽浄土の風景、浄土ヶ浜

 宮古駅に着いてレンタカーを借り、浄土ヶ浜に近いホテルで景色を楽しみながらビュッフェランチをいただいた。浄土ヶ浜には、宮沢賢治が1917年に訪れ、「うるはしの 海のビロード 昆布らは 寂光のはまに 敷かれひかりぬ」という歌を詠んでいる。

 

 波の静かな内湾は「日本の渚百選」などに選ばれ、夏場、海水浴客で賑わうほか、春秋には修学旅行生やツアー客も訪れる。海岸名の由来は、曹洞宗の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名づけられたとされ、盛岡藩主も訪れ江戸時代には風光明媚な場所として知られていた。

 

 浄土ヶ浜は、三陸を代表する景勝地で国の名勝に指定され、流紋岩の岩石が太平洋の荒波でつくりだされた景観は、見ものである。その形状や言い伝えにより名づけられた岩場や洞窟、「鍬形」「八戸穴」「お台場」「賽の河原」「汐かけ」「血の池」「子安地蔵」「千畳敷」「エボシ岩」「屏風岩」「鷹岩・鷹の巣」「砥石浜と剣山」と「弁慶手形」がある。時間に限りがあり、浄土ヶ浜そのものを訪れていないが、その景観の美しさは、次の写真で示す通りである。

 

     宮古湾を望む高台に建つ浄土ヶ浜パークホテル【公式】

(写真は、浄土ヶ浜パークホテルのHPより)

「ドラゴンブルー」に輝く龍泉洞

 龍泉洞は、山口県の「秋芳洞」、高知県の「龍河洞」と並ぶ日本三大鍾乳洞のひとつで、昭和13年に「岩泉湧窟及びコウモリ」として国の天然記念物に指定された。今なお調査が続けられる洞窟の全長は5,000m以上と推定され、高低差は±195mに達している(以下、龍泉洞HPを参照)。

 

 外気が30度近くても洞窟内は11度ほどで、冷んやりしていてポンチョを着て見学した。観光コースとして約700mが一般に公開されており、入口から直線的に伸びる神秘的な洞窟空間や、透明度の高い水を豊富にたたえた「ドラゴンブルー」の輝きを放つ地底湖が見どころとなっている。

 

 昭和30年代に発見された第一地底湖から最大水深98mを誇る第三地底湖まで見学できる。周囲の森林地帯に育まれたミネラル豊富な龍泉洞の水は、岩泉町の上水道として利用されているほか、お土産としても販売されている。

 洞窟に棲むコウモリも含め、5種類の生物が確認されている。龍泉洞と共通チケットで入場できる龍泉洞新洞科学館も楽しめる。およそ200mの鍾乳洞が公開されている自然洞窟を使った科学館で、龍泉洞の入口の道を挟んだ向かいにあり、太古の地層に育まれた様々な形の鍾乳石が見どころ。縄文時代初期と見られる居住跡も見つかり、土器や装飾品、貝殻などが出土している。