洛西「悉皆成仏」の寺、正法寺

金澤成保 

 

 

 洛西大原野の大原野神社の隣に、真言宗東寺派の別格本山、正法寺(しょうぼうじ)が佇んでいる。「洛西観音霊場」でお参りしたお寺で、三面千手観音菩薩をご本尊に祀っている(拝観料300円)。平安朝の面影を今に残す古刹で、巨石を集めて庭園を成していることから「石の寺」ともよばれている。

 

 

(来迎図)

梅園」でも有名で、「西山のお大師さん」としても親しまれている。ご仏前も庭園も、穏やかで優しい空気に満ちており、自分を含みすべてのものが仏として生を与えられる幸せを感じられた。また訪れたいお寺の一つとなった。

正法寺の三面千手観音と諸仏

 本堂三面千手観世音菩薩は、鎌倉時代初期の像高181cmの木造立像(以下寺伝等を参照)。顔の両側に別の顔(化仏)がある珍しい三面形式で、過去と未来にも目を配るという意味を持っている。国指定の重文である。もともと当寺に伝来したものではなく、京都府南丹市の九品寺から移されたものである。

 

(三面千手観音。写真は、正法寺のHPより)

 

 本堂には、平安時代初期の弘仁年間(810 - 824年)、弘法大師の作と伝えられる聖観世音菩薩の立像が安置されている。厄難消除の仏様として古くから信仰されてきた。

 

(聖観世音菩薩。写真は、正法寺のHPより)

 

 本堂にはそのほか、誰でも極楽浄土に生まれ変わるとされる阿弥陀如来、病気を治して衣食住を満たすとされ、開山・智威大徳が祀ったといわれる薬師如来が安置されている。

 

(薬師如来。写真は、正法寺のHPより)

正法寺の由来と境内 

 天平勝宝5年(753)、奈良・唐招提寺に住持された鑑真和上が唐より渡来され、ともに渡来された高弟・智威大徳が隠棲された地として、正法寺は天平勝宝6年(754)に開山され、当時は「春日禅房」と称された。


 その後、伝教大師・最澄が長岡京の守護寺院である「大原寺」を建立した際、「春日禅房」も大原寺の塔頭寺院の一つとして組み入れられた。弘仁年間(810~824)には弘法大師・空海が巡錫して、聖観世音菩薩立像を彫刻されたと伝えられている。

 

 

 応仁の乱の戦火で焼失したが、元和元年(1615)に、戒律復興運動の祖・明忍律師の法友・法弟である彗雲律師長圓律師により正法寺として再興され、元禄年間(1680~1703)には、徳川綱吉の母、桂昌院の帰依を受けて、徳川家代々の祈願所となった。

 

 

 本堂には、本尊の三面千手観世音菩薩をはじめ、聖観世音菩薩、阿弥陀如来が安置されている。

 

(阿弥陀如来。写真は、正法寺のHPより)

 

 書院には、大原野出身の日本画家・西井佐代子氏・遺作の襖絵「西山賛歌」が描かれている。「鶴の立体掛軸」もユニークで面白い。

 

 宝生殿には、「走り大黒天」とよばれる大原野大黒天が、一刻でも早く私たちに福を授けに来ようと、走っているお姿をされている。「走る大黒天尊像」は珍しいが、泉涌寺山内寺院の雲龍院にも祀られている(「泉涌寺山内寺院の今熊野観音寺と雲龍院」をリブログしましたので、良ければご覧ください)。

 

(大原野大黒天。写真は、正法寺のHPより)

 

 宝生殿にはほかに、愛染明王坐像が祀られている。獅子冠をかぶり3つの目と6本の腕を持って敬愛和合の誓願に住し、夫婦和合、縁結びなどのご利益があるといわれる。

 

(愛染明王。写真は、正法寺のHPより)

 

 境内には、遠く東山連峰をのぞむ借景式山水庭園「宝生苑」がある。宝生殿から眺められ、池泉式・枯山水と両方が楽しめる庭園である。昭和年代に作庭されたもので、配されている庭石の形が、ぞう、ふくろう、しし、かえる、うさぎ、かめなど様々な動物の形に見立てられ、「鳥獣の石庭」と称されている。庭園中央に紅枝垂れ桜があり、春には桜越しの石庭が美しい。

 


 この庭園だけでなく、本堂前にも巨石の配された枯山水庭園があり、極楽橋手前にも巨石が配されている。境内全体で、600トンにおよぶといわれる全国から集められた巨岩や名石があるといわれ、「石の寺」とよばれるにふさわしい。

 

 

 春日不動堂は、仁王像によって守護された不動堂で、堂内には、春日不動明王をはじめ、愛染明王、弘法大師像など安置されている。

 

 

 春日不動明王は、大日如来のお使いとして、主に悪魔降伏の任を担ってこの世に現れたとされ、除災招福、家内安全、当病平癒などのご利益があるといわれる。

 

(春日不動明王。写真は、正法寺HPより)

 

 春日稲荷尊は、開山・智威大徳の隠棲中、お使い役の白狐が天を駆け巡って大徳のために資糧を運んだという故事にちなんで祀られた。最古のお稲荷さんといわれ、商売繁盛、福徳授与のため多くの人々が参詣している。

 

 遍照塔は、六角二重塔で朱色に映え、華麗である。日露戦争の戦没者慰霊のため、明治末期に東山の高台寺境内に忠魂堂として建設されたが、平成に入り正法寺に移築された。平安時代から室町時代以前の様式を踏襲している。