洛西・善峯寺の千手観音と境内

金澤成保 

 

 京都洛西の「観音霊場」を訪ねた。TVの番組「京都浪漫」で紹介され、ぜひ観音様を参拝したいと思ったためだ。参拝したお寺は、善峯寺(よしみねでら)、正法寺、そして願徳寺である(泉福寺は、4月1日〜5日だけの公開で拝観できなかった)。途中、大原野神社も訪れた。善峯寺は、天台宗単立のお寺で、本尊は十一面千手観世音菩薩 2躯を祀っている。長岡京市の光明寺、楊谷寺と合わせて京都「西山三山」とよばれている。

 

 西山の麓の乙訓の地には、平安京へ遷都される以前の10年間、「長岡京」の都が置かれ、平安時代の末法思想の流行とともに、極楽浄土への往生への希求が広まり、京の都から見れば西方にあたる西山極楽浄土の地であると見立てられた。善峯寺は、西山の釈迦岳(標高631m)の支峰・善峯に位置して広大な境内を有し、山腹一帯に多くの堂宇が点在する。桜や紅葉の名所、京都市内や比叡山などの山々を一望できることで知られる(以下「寺伝」およびWikipediaなどを参照)。阪急東向日駅から、バスで30分ほど掛け、そこから10分ほど急峻な坂を登って善峯寺に着いた(拝観料500円)。

 

善峯寺の十一面千手観音

 ご本尊は、秘仏の千手観音立像で、長久3年(1042)に安居院・仁弘法師作と伝える洛東・鷲尾寺の像を移したという。開扉は、開山から1,000年となる2028年までおこなわない予定。

 

(ご本尊の厨子。写真はTV画面より)

 

 ご本尊の厨子の脇に、もう一躯の千手観音像が祀られているが、やはり秘仏で拝観することができなかった。この尊像は、善峯寺の開山である源算上人(983~1099年)の作と伝える古像で、現在は、「洛西観音霊場」第一番札所の本尊となっている。像高174.5センチ。寺の創建と同じ11世紀前半頃の作とされ、像全体が黒ずんだ古色を呈しているといわれる。

 

(脇本尊。写真は、Biglobeのサイトより)

 

善峯寺の由来と境内

 寺に伝わる『善峯寺縁起絵巻』(江戸時代)などによれば、長元2年(1029)、源信の弟子にあたる源算が、自作の千手観音像を本尊として創建したという。その後、長元7年(1034)には後一条天皇により勅願所に定められ、「良峯寺」の寺号を賜った。

 

 長久3年(1042)、後朱雀天皇の命で洛東・鷲尾寺にあった仁弘法師作の千手観音像を当寺に遷して新たな本尊としている。また、白河天皇より本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、鐘楼、二王門、鎮守七社の堂社を寄進された。

 鎌倉時代初期の建久3年(1192)には、慈円が住したこともあり、後鳥羽天皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」とよばれ、室町時代には僧坊の数は52を数えていた。

 

 だが、応仁の乱に巻き込まれて伽藍の大半が焼失した。江戸時代になってから第5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が大檀那となって、現存する観音堂・鐘楼・護摩堂・薬師堂・経堂・鎮守社などが再建されて復興を遂げた。

 山門の石段を上がった正面に、本堂・観音堂があり、その左手に文殊寺宝館がある。本堂右手の石段を上った一画には多宝塔などがある。そこから上ったところに釈迦堂、その上に阿弥陀堂があり、境内のもっとも奥には薬師堂青蓮院宮墓地などがある。堂宇の大部分は、江戸時代、桂昌院の援助で整備されたものである。

 山門(仁王門)は、三間一戸の楼門で 正徳6年(1716)の建立。楼上の運慶作と伝わる文殊菩薩と脇侍二天は、寺宝館に安置されている。

 

 本堂(観音堂)は、入母屋造りの建築で、元禄5年(1692)桂昌院による建立された。本坊の庫裏には、片岡鶴太郎作の襖絵「游鯉龍門圖」がある。前面の庭園は、池泉鑑賞式庭園で七代目小川治兵衛の作。

 

 鐘楼は、 貞享3年(1686)桂昌院の寄進により建立。梵鐘は、徳川綱吉の厄年に寄進さたことから「厄除けの鐘」といわれる。護摩堂は、元禄5年(1692)桂昌院による建立。五大明王が祀られている。

 

 

 「桂昌院しだれ桜 」は、桂昌院お手植えの桜で、樹齢300年以上。桂昌院廟は、宝永2年(1705)の建立で桂昌院の遺髪を納めている。「遊龍の松」は、横に這う臥龍の姿に見立てられ、全長37m。安政4年(1857)前右大臣・花山院家厚により「遊龍」と命名され、樹齢は600年以上で天然記念物に国から指定されている。

 

 経堂に並ぶ多宝塔は、 元和7年(1621)に賢弘による再建で重文。山内最古の建物。本尊は愛染明王。修復工事中で拝観できなかった。経堂は、宝永2年(1705)桂昌院による建立。

 

 開山堂は、源算の廟所で貞享2年(1685)建立。上人117歳の尊像を祀る。

 

 釈迦堂は、明治18年(1885)の建立。石仏釈迦如来がお祀りされている。

 

(写真は、善峯寺のHPより)

 

 阿弥陀堂は、寛文13年(1673)の建立だが、元禄6年(1693)桂昌院によって改修されている。常行堂ともいう。薬師堂は、奥の院で元禄14年(1701)桂昌院による建立。昭和63年(1988)に現在地に移転。

 

 元禄5年(1692)桂昌院による建立の鎮守社である十三仏堂弁財天堂毘沙門堂護法堂が祀られている。そのほか、昭和62年(1987)花山法皇西国札所中興一千年を記念して建立された、六角堂のけいしょう殿白山社稲荷社などがある。