寿宝寺、「真数」の十一面千手観音

金澤成保 

 

 実際に「千手」を備えられた千手観音像は数少ない。十一面のお顔を頭上に備え、「千手」を有する「真数」の十一面千手観音像は、我が国には3体お祀りされているといわれる。うち2体は、南河内の葛井寺と奈良の唐招提寺の観音さまで、このブログでも紹介させていただいた(リブログしたので、ご関心があれば合わせてご覧ください)。

 ここでは、残りの1体である京田辺の寿宝寺十一面千手千眼観音像をご紹介します。JR学研都市線・三山木駅から東に歩いて10分ほどのところに寿宝寺がある。ご住職の奥様に、解説していただき、昼間と夜間に見える観音様のお姿を、収蔵庫の扉を開け閉めしていただいて見させていただいた。観音様をすぐ身近で拝見できて、感激のひと時だった(拝観には、電話予約が必要。見料300円)。

 

寿宝寺の由来と仏さま

 寿宝寺は、慶雲元(704)年、文武天皇の時代に創建されたと伝えられる(以下「京田辺市観光協会」のブログ参照)。高野山真言宗の寺院。古くは「山本の大寺」と称せられ、七堂伽藍の備わった大きな寺であったが、度重なる木津川の氾濫により、享保17(1732)年、現在の小高い地に移転された。明治維新に際し近隣の寺々を合併し、現在に至っている。平成9年(1997)には大造営をおこない、206年ぶりの改築となった。


 

 寿宝寺のある地域は、大和から山陰道へ抜ける道沿いにあり、寿宝寺ではその道を通る旅人に食料を提供したり、援助をしたりしていたと伝わる。この寺の東側は「鶴沢の池」があり、昔は鶴の飛来があったともいわれ、また、近くの飯岡山とともに、仲秋の名月の名所でもあった。

 

 本尊の十一面千手観音立像は、収蔵庫に祀られている。重文である。脇侍として、12世紀に造られた五大明王のうちの2つの像も安置されている。「金剛夜叉明王立像」と「降三世明王」で、人間界と仏界の間に立つ守護神で、激しい形相と振り上げられた手足で造られている。本堂にも、仏像が安置されている。「聖徳太子立像」で、鎌倉時代の像と思われ、太子16歳の時に父の病気平癒を祈願したのを描いた像とされている。

寿宝寺の十一面千手千眼観音立像

  十一面千手千眼観音立像は、平安時代後期に作られたもので、一木造りの珍しい仏様。 像高180cmで、藤原時代中期の様式をそなえた端正典雅な立像。衣紋や面相の表現がその特色を示している。左右20の「大脇手」の前に、千本と見られる「小脇手」が扇状に配されている。目・口などに朱が塗られる以外は檜の白木で造られており、清浄を喜ぶ神の御心にかなった仏として、神仏習合の先駆的な役割を担ったと考えられている。

 大きく造った「大脇手」には、日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の「持物」を持つ。その他は掌を広げたように何層にも重なっており、すべての掌に眼が描かれ、「千手千眼観音」を表している。中央には6本の手があり、2本は中央で合掌、2本は中央下で「定印」して「宝鉢」をのせ、残りの二本は右手に「錫杖」、左手に「戟」を持っている。

 

 これらの「千手」と「千眼」が観音の慈悲と知覚をもって、広く望みを叶えてくれることを表している。観音は多くの眼で苦しみを見つけ、多くの手でそれを和らげてくれる。乙訓郡の「柳谷観音」と同木といわれ、これにちなんで眼病平癒祈願に霊験があるといわれる。端正典雅な像で、目、眉、髭、口に塗られた染料のために、光の加減によって柔らかくまた厳格に、女性的でありまた男性的にと変化する表情を見せてくれる。

(写真は、「京都南山城古寺の会」のサイトより)