龍神信仰と薬師寺

金澤成保 

 

 は、仏教を守護する「八部衆」の一神に数えられ、「法の雨」を降らして仏教の教えを広めるといわれる。また、龍神は水をつかさどることから、寺院を火災から守るとも伝えられている。以前このブログでも紹介したが、京都の天龍寺、相国寺、建仁寺などの禅宗の寺院には、修行の場を見守ってくれるようにとの願いから、荘厳な龍の姿が「法堂」の天井に描かれている。

 

(金戒光明寺の山門楼上。写真は「そうだ京都、行こう」のサイトより)

 宗派は異なるが、浄土宗の大本山・金戒光明寺の山門楼上の天井にも「蟠龍図」が描かれている(「金戒光明寺・「くろ谷さん」の特別公開」参照)。奈良仏教本山の一つである薬師寺も、龍神信仰を受け継いできた。今年は干支が辰年であることから、龍神信仰に関するご開帳や紹介がおこなわれた。ここでは、機関紙『薬師寺』第218号、「特集 薬師寺の辰詣で」の記事を参考に、薬師寺と龍神信仰との関係をご紹介してみたい。

 

龍宮をイメージした薬師寺

 薬師寺伽藍の主要建築には、「裳階」(もこし)とよばれる庇が、それぞれの屋根の下に設けられる壮麗優美な白鳳様式で、「龍宮造り」と称せられるが、ただの例えではなく平安時代の『薬師寺縁起』などに記された逸話がもとになっている(本坊主事・高次喜勝氏の記事を参照)。

 

 それによると「(薬師寺の)金堂は、もともと龍の棲む池だった。この龍を勝間田池に移し祀って、池を埋めて金堂を建てた。(天武)天皇は侍僧であった祚蓮(それん)法師が禅定(瞑想)に見た様子を模して造らせた」とある。ちなみに、祚蓮和上の像は行基菩薩像とともに、東院堂の本尊・聖観世音菩薩像の横に祀られている。

 『薬師寺縁起絵巻』には、梅が満開に咲く中、祚蓮が禅定中に「龍宮造り」の伽藍を感得する様子が描かれている。また、仏教に帰依した龍神は、自分の住処の池を「三宝」(仏・法・僧)に捧げて「師(行基)が修行の場所にするなら、永遠に守護しましょう」と約束して消えたと記されており、人間に化身した龍神が池のほとりで行基に話しかけている様子が描かれている。

 

「龍王社」を祀る薬師寺

 上記の龍神を、薬師寺の南西約200mにある大池の北に祀ったのが「龍王社」であった(宍戸香美氏の論文を参考)。大池は、『万葉集』にも詠まれる勝間田池で、江戸時代の『南都西京薬師寺古伽藍図』に、「勝馬田御池」の北に「龍王」の社殿が描かれている。

 

 この大池の鎮守である「龍王社」の現在の社殿は、室町時代後期(16世紀末)の建築であるが、明治になると薬師寺境内に移設された。昭和の伽藍復興事業に合わせて東院堂の南奥に再移設されている。周辺地域の住民が祀っていた「龍王社」を寺内に移設した背景には、薬師寺が「龍王社」の祭祀に深く関わってきた歴史がある。

 大池は灌漑のための貯水池の役割を果たしており、周辺地域の農業には重要な水源であった。旱魃の際には、地元住民の請願で雨乞いがおこなわれ、薬師寺はそれに合わせて大般若経の読経、水天供などの法要、「龍王社」の御神体の龍神を寺に遷して法要をおこなっている。薬師寺の「龍王社」祭祀への関与は、寺の経営基盤であった荘園制の弱体化、江戸期における寺領の大幅な削減(2000石から寺院周辺の300石)により、経営基盤としての寺院周辺地域の重要性が大幅に増していったことが背景になっていただろう。

 

(龍王社のご神体の龍神、7月26日の祭礼に公開)

 薬師寺には、天武天皇の皇子・大津皇子の像が祀られているが、平安時代に広まった怨霊思想の影響もあったためか、皇子が「悪龍」となって天下が不穏となり、高僧の呪力により鎮められた、との伝承がある。また「龍王社」の祭神の龍神は、「大津龍神」ともされ、大津皇子の怨霊伝承との融合が見られる。大池の「龍神」と同一視されたことも、薬師寺と寺院周辺との結びつきと強めたと想える。

 

東院堂の龍神開帳

 辰年であることに因んで、薬師寺では東院堂(国宝)を特別公開し、「龍王社」龍神の「お前立ち」として祀られる「難陀龍王」の小像と江戸時代の古磵(こかん)作の「双龍図屏風」が開帳された。「難陀龍王」は、「八大龍王」の筆頭として経典に現れ、髭を蓄えた中国風の出立ちで、背後からは龍が右手に宝珠をつかんでのぞき込んでいる。


 古磵は、元禄時代を中心に活躍した画僧で、多くの作品を薬師寺に納めている。浄土宗に籍を持つが、おもに江戸・京都・南都(奈良)で広く活躍している。「双龍図屏風」は、双幅の作品であったが屏風仕立で改装された。


 

 そのほかにも薬師寺には、龍神を造形したものがある。本尊・薬師如来像の台座には、四方位を守る霊獣「四神」が刻まれているが、そのうち東面には「青龍」が、疾駆するかのように横に長く身体を伸ばしている。東僧坊に、台座の複製が安置されているので見ることができる。大講堂の後室にある仏足石は、日本に現存する最古のもので国宝である。この仏足石には、暴悪な龍王をお釈迦様が調伏させる場面が線刻されている。また「双龍図屏風」のほかに、古磵作の「雲龍図襖絵」が保管されている。