東福寺の塔頭、霊源院、勝林寺と一華院

金澤成保 

 

 東風寺塔頭は25ヶ寺あり、秋の特別公開に合わせ拝観できるお寺もいくつかある。今回紹介するのは、東福寺山内の北部にある霊源院勝林寺、そして一華院。東福寺北門より東にすすむと正面にあるのが霊源院で、勝林寺は、その奥の裏手にある。一華院は、東福寺西門の日下門を北にしばらく行ったところにある。

 

霊源院の由緒と庭園 

 前身の「天護庵」の創建は、約670年前、南北朝時代の延文年間(1356~1361年)である。後醍醐天皇の皇子と伝わる龍泉令淬和尚により開かれた。その後を継いだ東福寺62世住持・在先希譲和尚の代に「霊源院」に改称されている。ご本尊は、千手観音。

 

 その在先和尚を画僧・吉山明兆が描いた『絹本著色在先和尚像』や、在先和尚が編纂した『松山集』、『海蔵和尚紀年録』などが、霊源院に伝わり重文に指定されている。伊達政宗の隻眼の肖像画でも知られる。

 

 

 戦国時代から江戸時代にかけて、織田信長や徳川家康の家臣として活躍した、三河出身の水野忠重をはじめ、江戸時代に福山藩藩主となり老中をつとめた水野家ゆかりの寺院である。きっかけとなったのは、「本能寺の変」の際に霊源院が水野忠重を匿ったことから、後に水野家から寺領を寄進された。福山藩初代藩主となった水野勝成の墓所も残る。

 

 本院の庭園は、全体として木々の陰にちなんで“翠陰苑”と名づけられ、小さなお地蔵様がたくさん祀られていることから、“お地蔵さまの庭”ともよばれている(以下、「おにわさん」のサイトの記事を参考)。内訳を見ると、明治時代に再建された書院を中心として玄関前庭

 

書院西庭(本堂前庭)の“こもれ陽の庭”

 

本堂西庭“鶴亀の庭”(9〜10枚目)、

 

書院北庭と、個性豊かな庭園がある。

 

 

 そのうち、“こもれ陽の庭”と“鶴亀の庭”と前庭が、天龍寺庭園の御用達である曽根造園により、近年作庭された。"こもれ陽の庭"は、回遊式の枯山水庭園になっていて、眺めてるのも中を歩くのも楽しめる庭になっている。

 

 本堂と書院の間にある茶室風の小間の感じがいい。書院北庭をのぞむ大きな円窓が、現代数寄屋建築といった印象を与える。書院北庭は、右手側にのぞむ東山山系借景も見所といわれ、小間でひと時を過ごす観光客も多く見られた。

 

勝林寺の由来と魅力 

 勝林寺は、天文19年(1550)東福寺第205世の高岳令松禅師によって創建された(拝観料700円)。東福寺の北方に位置し、鬼門と仏法を守るとされることから、「東福寺の毘沙門天」ともよばれている。本尊の毘沙門天立像は平安時代の作で、厳しく凛とした仏様で、毘沙門天の「お使い」と見なされる“虎”の大襖絵も迫力がある。新春と秋の特別公開で拝観できる。

 

(上の写真は、勝林寺HPより)

 

 勝林寺も、東福寺塔頭の紅葉の名所の一つ。花で飾った手水鉢「花手水」や色とりどりの和傘が、紅葉の木々と競い合い、ことのほか美しい。本堂前には、美と幸運の神様・吉祥天が宿るという「吉祥紅葉」が植えられている。写経・写仏、坐禅とヨガも体験できるお寺としても知られている。参詣していただくきっかけになればと、さまざまな取り組みをおこなっているのが好感が持てる。

 

 

一華院の縁起と庭園

 一華院も、東福寺の塔頭で、永徳2年(1382)に東福寺第67世・東漸禅師が創建した寺院(拝観料400円)。 ご本尊は「白衣観音坐像」で室町時代作、脇仏は「達磨坐像」と「阿弥陀如来坐像」で、いずれも江戸時代作と伝わる。 インドでは、出家者の着る黄色い衣に対して白い衣は在家、つまり俗人の衣の色で、白衣観音は、俗人の姿をして人々を救うために現れたといわれている。寺号の一華院は、禅の教えで「一華五葉を開き、結果自然に成る」に由来する。 これは、一つの華が五枚の花弁を開き、 やがて自ら実を結ぶように、自分の心の華を開くという教えという。

 

  

 

 一華院の庭園は、「四神の庭」と名づけ、東西南北の四方を神獣が守る「四神相応」をテーマに作庭されている。境内の東にあたる玄関前庭は、玄関横に伸びる黒松を配し「青龍」に見立てている。仏法を守るといわれる龍が入口を守っている、とも取れる(以下、一華院HPの解説文を参照)。

 

(上の写真は、一華院HPより)

 南庭『依稀松庭』の名前の由来は、禅語の一節「依稀たり松の屈曲」にあり、松の曲がった幹や枝ぶりが様々な姿に現れているという意味という。南はの神獣は「朱雀」であり、松により伝説の鳥の朱雀に見立てて、庭園を作庭している。 中央の黒松は流枝を大きく横に伸ばし、庭園中央に大きく羽ばたく朱雀を現し、背後にはサツキを中心とした大苅込は朱雀の背後にそびえる山々を現している。ゆったりとした、ひとときも楽しめた。

 

 西庭『虎靠山の庭』は、重森千靑(重森三玲の孫)の作庭になる。禅語の「如龍得水 似虎靠山」が名前の由来で、「水を得た龍や、山に入った虎の様に、本来あるべき姿に戻れば本領を発揮する」意味である。 西庭の方角は四神相応では「白虎」であり、中国の故事「虎の子渡し」を五行説で西の方位を示す白の石組で表現している。

 

 北庭『彷彿石庭』も重森千靑の作庭。名前の由来は、禅語の「依稀たり松の屈曲、彷彿たり石の爛班」で南庭の対句から名づけられた。石の模様や形が様々な姿に現れているという意味である。北は四神相応では「玄武」であり、手前の島は石組により「」に見立てている。 中央の島は「鶴亀」の島になり最奥の島は「蓬莱島」と「蓬莱山」の石組で、不老不死の薬があるとも、仙人が住むと言われている縁起の良い島である。「」の「玄武」も感じられる様に黒系の石で州浜を現している。またフッキソウは玄武の蛇にも見立てる事ができる。 石の数は十五石で構成されており「七五三」石組で、もっとも尊く縁起の良い数字とされている。