石峰寺と若冲、京橋の居酒屋

金澤成保 

 

 洛南深草の山裾に、禅寺・石峰(峯)寺がある。江戸時代の奇才画家、伊藤若冲五百羅漢像を楽しみに参詣した。近鉄龍大前深草駅を東に10分ほど歩くと、朱色の「竜宮造」の門が迎えてくれる。黄檗宗の小さなお寺である。残念ながら五百羅漢像は、写真撮影は禁止であった(拝観料300円)。帰りに京橋で、一杯やることにした。

 

石峰寺の由来と若冲

 石峰寺は、平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた、沙羅連山石峰寺に端を発するという。その後、焼亡したが、正徳3年(1713)、黄檗宗大本山萬福寺の千呆性侒が、今の深草の地に開創した。

 

 もともとの本尊の薬師如来像は、慶長元年(1596)土中から発見され、当寺に祀られてきたが、昭和54年放火で本堂とともに焼失した。昭和60年、新たに釈迦如来を本尊として本堂が再建され、今に至る。

 

 境内裏山にある五百羅漢の石像群は、若冲晩年の江戸時代後期に、若冲が下絵を描き、当寺の住職密山修大と協力して制作したもので、「若冲五百羅漢」として今も親しまれている。当時は1000体以上あったが、現在では500体ほどが残っている。釈迦と弟子たちが、悟りを得て涅槃に至るまでの生涯と修行を表しているとみられ、誕生仏、出山の釈迦、十八羅漢、説法場、涅槃場、賽の河原の説明板が置かれていた。

 

(写真は、www.okeihan.netより)

 若冲は、天明の大火で錦高倉青物市場にあった居宅を失い、寛政2年(1791)に、石峰寺門前に草庵を設けて隠棲していた。寛政12年(1800)、85歳の生涯をその草庵で閉じ、当寺に葬られた。錦高倉では、町年寄として青物市場の営業再開を成し遂げる行政手腕もみせた。当寺には若冲の墓があり、命日の毎年9月10日に「若冲忌」を営んでいる。

 

 2012年、写真家を名乗る人物のグループが撮影会と称し、石像に帽子をかぶせたりロウソクを点けたりして柵内に入ったりしたため、現在ではスケッチ・写真撮影が全面的に禁止されている。心ない行為から撮影禁止となったことは、残念である。

 

京橋の居酒屋「京屋本店」

 京橋の商店街をしばらく行くと「京屋本店」にでる。昭和の時代を感じさせる、店の雰囲気とお料理。おじさんの憩いの場といった感じ。料理は、300円から400円程度で、2000円ほどで満足できるお店。

 

 生ビールとおでんの盛り合わせ、鰹のたたき、その後、冷酒と天ぷら盛り合わせ、鰯の生姜煮をいただいた。思っていたより安く、味も満足してほろ酔いで店を出た。