「磐座」に瀬織津姫を祀る六甲比命神社

金澤成保 

 

 六甲山系には、巨石をご神体とする「磐座信仰」がもとになった神社が、古くから人々に信仰されてきた。東灘の保久良神社、西宮の越木岩神社がその例で、このブログでもご紹介した(「保久良神社と「カタカムナ」、「ご神体の巨石「甑岩」」)。今回は、六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ)、正式には六甲比命大善神社にお参りすることにした。山滝木石などにを見た、自然・精霊崇拝の太古からの姿に触れることができると想ったからだ。

 

 六甲山山頂の西にあり、距離もあることから「六甲山上道路」(県道16号)からの車によるアクセスとした。六甲山アスレチックパークGREENIAの駐車場(有料)に車をとめ、その正面ゲートから少し西に歩くと、関西大学六甲山荘の看板が見え、その反対側に別荘地への導入路があり、それを行き止まりまで歩くと、「六甲比命大神」と書かれた小さな案内板が見える。

 

 

 急な山道を進むと「雲の岩」にでる。法道仙人が、この地で修行中、紫雲に乗った毘沙門天が、この岩の上に現れたとの逸話が残されている。法道仙人とは、7世紀インドから渡来した僧侶で六甲山吉祥院多聞寺 (神戸市北区)を創建している。「雲の岩」には、ほぼ立方体に近い岩が重なり、その先の楕円状の岩は、中央を真っ二つに裂けられている。自然に成ったというより、人知を越える力で成された印象である。

 

 さらに進むと、左に「六甲比命大神」、右に「仰臥岩」と記した案内板が足下に見える。「仰臥岩」は、いくつかの巨石が重なり合った「磐座」で、石祠と山伏熊野権現をお祀りした石碑が立てられている。修験道の信仰の場でもあったのだ。大きなテーブルのように横たわる巨石の表面は、人工的に平らにしたのではないかと思えるほど大きく滑らかであった。

 

 六甲比命神社へ急な山道を下りると、仮設足場の部材で組まれた簡易な階段にでる。この辺りになると想像以上に険しく、足元が不安になるが、慎重に足を運んで神社拝殿の前にでる。4畳半ほどの無人の建物で、鍵は掛けられておらず、中には祭壇があり、お札やお守り、資料が並べられている。御朱印や資料をいただき、注意書きに書かれた通り、お代を賽銭箱に納めた。お釣りが必要なら、なんと置いてある銭箱からお釣りを取るようにとある!

 

 ご神体は、拝殿の背後にある巨石群「兎の形」に例えられている。厚い鏡餅状の巨石が、重ねられているようにも見える。その巨石群の隙間に小さなが祀られている。現在この神社は、吉祥院多聞寺の奥の院となり、神社の信者組織「六甲比命講」と共同で管理されている。祭神としては、「雲の岩」に毘沙門天が顕現したとの逸話があることから、その妻とされる弁財天(吉祥天)とされている。

 

 また「六甲比命講」は、神代文字の史書とされる『ホツマツタエ』から、祭神の六甲比命瀬織津姫(せおりつひめ)と同一の神であるとしている。織津姫は、神道の「大祓詞」に謳われる重要な神で、水の神祓神天照大神の荒御魂ともされている。この神社が、六甲山系が分つ神戸側と有馬側の分水嶺の位置にあり、天照大神の荒御魂を祀る西宮の廣田神社の奥宮であったことが、織津姫を祭神とする説の背景になっている。ご神体の巨石群「兎の形」を表すとされているが、ウサギは月を象徴し、祭神の六甲比命すなわち瀬織津姫が月の神で、日の神・天照大神(男神)と夫婦を成すとしている。

 

 拝殿からしばらく下りると、「心経岩」の巨石群に出会う。巨石の形状や表面が平らであることから、自然のものではなく、技術や道具のない古代にあって人為で造られたような印象を持つ。文字の書かれた「心経岩」には、法道仙人の時代に心経が彫り刻まれ、今に見る文字は大正年間に再刻されたものとの解説が、案内板に書かれていた。

 

 六甲比命神社は、六甲山系の分水嶺にある「磐座」で、太古より巨石に宿る神を祈る祭祀の場であったろう。時代が降って、修験道などの信仰も習合されてきたが、水の神・瀬織津姫を祭神とする古神道の信仰が、細々と今に引き継がれてきた。太古の自然と精霊を崇拝する姿を、垣間見れたように想う。巨石群が、人知を超えた力で造られたのではと述べてきたが、『ウィキペディア』では、「この磐座は、天然に出来たものではなく、縄文人たちの手によって巨石を積み上げて出来た人工の磐座である」としている。 荒ぶる神をお祀りしているとされることから、厳しい空気を想像していたが、女神をお祭りしていることからか、温和な空気で迎えてくれるような雰囲気であった。